2020年2月6日木曜日




購買力不足をもたらす構造を無視して生産性向上とひたすらネンブツ唱えるとか。
ミネラルの体内における拮抗を無視して、例えばマグネシウム不足を無視してカルシウムだけ摂らせようとするとか。
栄養状態を無視して勉強とかトレーニングとか負荷だけをひたすらかけ続けるとか。
家庭環境もろくに整えないのに子供には言うことを聞かせるとか。
質の低いもの、役に立たないものを売りつけて経営を維持しようとするとか。
例えるなら燃料も飲ませていない車を動かそうとするようなものです。

以前私は書きました。
今の社会経済問題は言うなれば水道の蛇口を開けていないだけだって。
蛇口とは購買力、水は財やサービスの供給力です。
タンクにある水は過剰なくらいなのに、なぜか蛇口をひねって開けるという発想に至らない。
そして足りない足りないと言いながら、ひたすらタンクに水を注ぎ込もうとする。
なんのための自動化なのか、その過程でどんどん人が倒れいなくなっていく。
悪いのはタンクに水を入れるのが足りないのだと、当人の努力不足だと言う。

いや、蛇口開けましょうよという話もろくに聞いてもらえず、それを見ているしかない気持ちがおわかりでしょうか。
コントだったら面白いかもしれませんが、現実問題では悔しいだけです。
なぜそんな茶番で子どもたちが苦しまなければならないのですか?
購買力もない、栄養もない、従って分配もエネルギーもない、なのにそれをあるものとして人や社会、あまつさえ自然の世界を語る。
そりゃ社会が良くなるわけがありません。
そもそも一番最初の現状把握の時点でつまづいているのですから。

車に燃料を飲ませないまま、飲ませたと勘違いして走り出したから問題が起こるようなものです。
それとも残量計が見えませんか?
無いなら無いで、走らなくなったのならガス欠を疑いますね?
経済も同じですね?分配が機能しなくなったのならカネ不足を疑いますね?
ガス欠なのに車を叩いたり店にクレームを入れてもしょうがないですね?
カネ不足なのに個人の商品価値を叩いてもしょうがないですね?