スーパーマンでなければウルトラマンでもいいです。
無理な要求をされると自然とそれは壊れます、というような話です。
社会システムが悪い、ということを言っちゃいけないみたいな空気があると私は感じています。
娯楽のゲームならクソゲーと遠慮なく言えるし、嫌ならやめられます。
それが例えばBIやろうみたいなことを言っちゃダメ、変えるのはダメみたいな空気に支配された社会では、必然としてプレイヤーが悪いという結論が導かれます。
苦しんでいたらとにかくその人が悪い、例え過労で死んでも無関心、そういう態度を嫌というほど目にします。
繰り返しますがゲームだと遠慮なくクソゲーと評価出来るんですよね皆。
これが社会となると絶対的に正しいものとして捉える人がすごく多いなと思っていて、命がかかっているかそうでないかという違いがそれだけ大きいのかなとか考えています。
でも、命がかかっているからといって無条件に正しいとは言えません。
それが正しいなら「バトロワ」は正しいし、恐怖政治も正しいことになります。
賞罰は別に正しくなくても(不自然でも)下すことが出来るのです。
結局のところ、そういう社会システムは自然に照らして正しくないために崩壊に向かい、だから人類は今も社会のあり方を模索しているのだろうと思います。
中には現行システムを信じて、壊れるまで頑張ってしまう人もいます。
頑張る試みが正しいかどうかは、納得するまでやってみればいいという話ではあります。
私もそうやって自分を追い詰めてきました。
何が正しいのかも全然わからないので、とりあえず自分を限界まで追い込んでみようと。
でも、他人がこれを強要するのは絶対におかしいと思うのですね。
しかも自分だけちゃっかり逃げてたりしたら最悪です。言うなればダサい。
あるリンチ殺人事件が昔あって、リンチで死者が出ると主犯は「死ぬのが悪い」とか「〇〇(彼らの思想)化が足りない」とか言ってたそうです。
戦前でも○○魂という言葉を何か、物食わなくても戦える魔法の呪文みたいに扱う風潮が一部であったとか。
どう考えてもあの頃に足りないのは活動するためのカネです。
多分軍属くらいしか職がないという人が大勢いたんだと思いますが、まあ死にましたよね……痛ましいです。
ちなみにリンチ殺人の方の主犯は捕まった後、他のメンバーが黙秘する中、真っ先に自白して呆れられたとか。
しかも恐怖に耐えかねたのか自殺したそうです。
そういう事する人ってそういう人なんですね。
昨今まで続く根性信仰も同じではないかと思います。
根性が足りないだけ、とかですね。 自分で検証する気ないんでしょう。
結局、私的な体制とか権力といったものの保守が不動の結論としてあって、それ以外のものについては勝手に不道徳だとかなんとかレッテルを貼って支配・排撃しているだけじゃないかと。
別に主義主張それ自体を否定したいわけじゃなくて、
それが万能や絶対正義みたいになっているのはどうして?
どこか前提認識に無理があるのではないか?
安易に結論を求めすぎてないか?
結論ありきになっていないか?
それは解決にはならないのではないか?
などと思うのです。
実際、何か解決しましたか?と。
じゃあお前はどうすればいいと思うんだ?と今までも聞かれてきたので改めて言いますが、私はBI(国民配当)支持者です。
プレイヤーが頑張るんじゃなくてゲームシステムを変えてみようという意見です。
プレイヤーとして色々と壊れるくらい頑張ってきましたが、まあ無理だと。
スーパーマンにはなれません。
でもヒーローが教えてくれる勇気を否定はできません。
自分のできることで、これまでとは違う方法で、恐怖や問題と向き合っていけばいいと思っています。