2022年10月2日日曜日

生産性だけ上げても意味がない

現行社会の分配ルールには問題があります。

生産性を上げれば上げるほど、つまり無人化・省人化して失業させるほど通貨の労賃ルートが細くなり、物資を生産できても分配できなくなる(買えない・売れない)問題です。

従ってベーシックインカムのように消費者に通貨ルートのバイパスを通すことで通貨循環を維持する必要があります。そうしないと通貨経済が成立しなくなります。

 

ところで、言葉は不完全なものですが、できるだけ正確に使うことが肝要です。

自由でないものを自由と呼び、幸福でないものを幸福と呼べば人生の方位を見失いかねません。

死ぬまで労働マラソンか少し先で餓死かという社会の現状も選択の自由というよりは強要と呼ぶべきでしょう。

生産力がないなら働くしかないのが道理ですが、実際は過剰ですから前提がまったく違います。

 

生産性を上げろと皆言っていますが、その実は人件費を削ることでカネがほしいだけです。

やかましく生産性向上を喚く人にそれで何が解決したのか、シャッター商店街や廃工場、耕作放棄地、ゴーストタウンなどを観光しながら聞きたいものです。

昔の人は今の人より勤勉で優秀だから今より稼げたのでしょうか? まともな感性が少しでもあって現場を知っているならそんなことはないとわかります。

だいたい、生産力が足りないことが根本原因なら商店街が自らシャッターを締めるわけがないし、耕作放棄地や放置された不動産が増えるわけがないのではないですか。


生産性を上げる手段は企業にとってはほぼ無人化であって、労働者が市場価値を上げようとしても流れは止まりません。

それにもかかわらず価値あれ、間違うな、さもなくばと追い込まれるのですから、子ども達も幼い身空で世を儚んで自死を選ぶわけだと思います。

生まれることも生きることも許さない社会なんだから少子化なんて当たり前に起きますよね。赤ん坊に価値を求める狂気です。

幸福でないものを幸福だと欺瞞を吹き込んで何になるのでしょうか。幸福を追求することをやめるなら何のために生きているのかわかりません。