このような記事がありました。
考古学が解き明かす「人類史上、戦争はいつどのように始まったのか」すなわち戦争とは、そこに参加する多数の個人に、不合理を合理と認知させて命の争奪までおこなわせるさまざまな仕掛けと結果の総体だ。
労働問題等と重なりますが、兵士が戦地へ向かった、それで死亡したりノイローゼになったというような「結果」には、働かなければ1ドル(1円でも1元でも)も貰えないからという「仕掛け」があるかと思います。
今の社会システムでは生産力が余る一方、おカネが足りなくなるため分配が滞ること(豊かさの中の貧困)が各種問題の温床になっていると考えられます。
地獄かちょっとマシな地獄かではなく、別のよりよい結果を選択するためには、少なくとも国民配当が必要ではないか、というのがこの記事の内容に関する私の考えです。
戦争の考古学的証拠は農耕以降に出現しているとのことで、やっぱり技術的失業が関係しているのかなと思いました。
技術が発展すると失業が進みますが、システム側で対応できないと貧困や格差が進みます。
情勢不安になると争いが起きやすいのは知られているとおりかと思います。
雇用のための公共事業という側面もあるかと考えられます。
産業(蒸気)革命の後もそうですが、農耕が悪いとか機械化が悪いということでなく、分配システムを見直してみる必要があるのではないかと思います。
話は変わりますが「山猫は眠らない」という映画があります。
主人公はスナイパーになるか失業して飢えるかの二択しかなかったので、スナイパーになることを選んだそうですが、本当は故郷で魚を釣って暮らしていたかったらしいです。
それも記事の言うような不合理な選択をさせる「仕掛け」によるものであり、私はその主たるものは働かなければ1ドルも貰えない分配システムのことなんだろうと考えています。
国民配当がある社会なら釣りをして過ごせる幸せな可能性もあったのかなと思ってしまいます。