2021年4月30日金曜日

BIと緊縮的BIの違い

左から社会経済の現状、BI(国民配当)、緊縮的BI(BIモドキ)を、生産・分配の両面から表した概念的な図です。

この生産・分配の両方が揃った状態じゃないと我々は豊かになれないわけです。

 

左から順番に確認していきます。

生産を占めるのは自動生産と労働である一方、分配は労働に対応する労賃だけで、莫大な余剰生産力(デフレギャップ)がある状態です。

下向き矢印(↓)は技術的失業が進んでいることを表しており、つまり労働の割合は基本的に減ることはあれど増えはしないということです。

今さら皆で竪穴式住居に戻れますか?車両を使わずに徒歩で移動できますか?文字を使わずにいられますか?無理じゃないでしょうか。

何か技術にリセットがかかったとしても、同じように技術を求めると思います。

 

この現状、どうなるかというと「豊穣の中の貧困」です。

そして、おカネを求めて人や環境の負担を無視しがちになるので、過労死、精神病、環境破壊などに繋がると考えられます。

デフレで喜べるのは、その負担を無視しているだけです。


次はBIです。

自動生産に対応する分配手段がないため、通貨発行によってBIを導入します。

貨幣の本質とは権利ですから、物質的・商品価値的な縛りを気にする必要はありません。

 

この状態で自動化を進めて持続可能な形で生産力を高めれば、少なくとも今よりは皆で豊かになれると思います。

シビアな条件かもしれないですが、先人の遺産もありますし、カネ不足にぶち当たって何も出来ないより云億倍マシだと思います。

例えば宇宙にロケット飛ばすのはカネの無駄という考えがあるかもしれませんが、私はカネに縛られて何も出来ないでいる時間の方がありえないほど無駄だと思います。

人も技術もあるのに、カネだけがない、そんな状況が今、腐るほどあります。

それこそ才能や機会の重大な損失ではないのでしょうか。

カネになる行動でなければ出来ない、やってはいけない、でも肝心のカネはそもそも不足。

そうやってカネに縛られて活動を萎縮することに疑問を持たないのも拝金主義ではないのかと思います。


技術的失業は止まらないと思いますが、最低労賃みたいなことで下駄を履かせる必要はありません、というか市場が歪むとかの他にも色んな意味でやめた方が良いと思います。

今は自分の価値を過大に見せないといけないみたいな風潮がありますが、そんなことをしてもいい仕事が出来るかどうかとは無関係ですし、何より心安らかにいられません。

何の物差しで輝くかなんて人それぞれなので、労賃だけの評価に縛られて萎縮したり、命を失ってしまう現状は悲しいと思います。


最後に緊縮的BIです。

多分、BIと聞いて眉をひそめる人はこのイメージなのではないかと思います。

現状と何も変わっていないか、悪化しています。

技術的失業の対策になっていません。

これは意味の薄い引っ掻き回しであり、事実上の簒奪です。

あくまで労賃の枠に収まっているのは生活保護と同じです。

無知なのでなければ、これをBIと呼ぶのは、誤解と対立を煽る悪意です。

国政の中枢に関わっていい思想ではないと思います。