2019年11月21日木曜日
雑記
コンビニオーナーとその息子が自殺という文章を見かけました。私のようにいちいちデフレと結びつけて考え込んでしまう人間は、こうした情報が目につかないようにしたほうがいいのかもしれません。今回は見てしまった以上、一応吐き出しておきます。
私は背景として消費者の購買力低下があると考えます。発端としては売上が低下したことだそうですが、それを本部が悪いとかオーナーが悪いとか言って互いの努力やらに原因を求めてもあまり詮無きことではないでしょうか。私達は公で進んでいる購買力の低下をこそ考えたほうがいいのではないでしょうか。
例えばベーシックインカムが実現するなら、収入の底上げは購買力の底上げに直結しますから、売上は当然上がるでしょう。また人の商品価値を問いませんから、生活不安の解消に大きく貢献するものかと思います。無理だ、やってられないと言って自殺したそうですが、やらなくても生きていける仕組みがあれば死ぬこともありませんし、その気になれば再チャレンジも可能ではないでしょうか。これは経済システム的には余剰供給力を機能させるためであって、何も無制限に購買力を上げろというわけではありません。もし供給力が不足しそうなら、その時こそ生産性を問えばいい話です。それこそ頑張っただけ、成果の分だけ報酬を得られるのではないかと考えます。私の憤慨の一つは購買力不足とすべき認識を供給力不足にすり替えようという、特に政府マスコミで行われている試みに対するものです。全く違います。緊縮ありきの詐欺まがいの行いはやめてほしいです。真に受けた人たちが自分を追い詰めています。
家族揃って廃棄商品を食べていたそうですが栄養状態は悪かったはずです。私の記憶にある栄養士の指導でも、コンビニ弁当は勧めるどころかむしろ避けなさいとありました。死なないだけいいだろうと本人たちも本部とやらも考えていたのでしょうが、恐らく足りないです。以前記事で書いたと思いますが、神経伝達物質の合成段階で必要な栄養が不足すれば鬱状態になります。白米だけをいくらかきこんでも駄目なのだそうです。ちなみに鉄不足自体は女性の方が深刻な傾向がありますが、耐性が低いのは男性だそうです。関係あるかはわかりませんが、ここでの自殺者は全て男性です。
何度でも繰り返しますが現状において供給力不足という認識はおかしいです。廃棄弁当など供給力過剰と購買力不足の象徴ではないのでしょうか。しかもそれはカネのために健康に必要な栄養すら省かれたものです。
確かコンビニでも無人レジの店舗を試験する予定があると見かけました。人件費の削減を期待しているのだと思います。品出しもそのうち自動化されるかもしれません。そのたびに賃金で収入を得ている消費者の購買力も少しずつ減っていくのではないかと思います。そうして失業した人は現状の社会システムではまた別の雇用を争わねばなりません。技術的失業が進むと、労働供給は過剰になります。それでも業務消化に必要な人手すら雇えないのが大半の企業です。消費者はどうでしょうか。本格的なデフレ時代の到来を喜んだのも遠い昔、今は100円ショップですらありがたみがなくなってしまったのではないでしょうか。つまり購買力に余裕がないのではないかということです。誰にとってもカネ不足は他人事ではないと思います。