2021年1月30日土曜日

人件費削減

人件費削減……ですよね。それ以外現状のリストラで何の理由があるんだろうという話で。これまでも購買力が足りず人件費も足りない、それで労働市場が供給過剰だから労働環境も悪いんだという話を私もしてきたわけですが、ニュースであっさり「人件費削減」でリストラを行うと書いてました。何十年ぶりに意味のある文章をマスコミの発信で読んだ気がします。ヘッドラインが目に入るたびに苦しみに襲われることが今後解消されていけばいいのですが。

前回のRPA(ロボティック・プロセス・オートメーション:自動化の一種)とかも検索するとあからさまに人件費削減とか書いてますから、もはや生産と労働は企業にとってセットじゃなくていい扱いなのかもしれません。残業規制も比較的経営がマシな状態の企業にとってはむしろ自動化する口実になってラッキーなのかもしれないですね。 

後は消費者が雇用を生み出せとか筋違いの要求をしてないで国民配当を要求できるかどうかだと思います。こんな状態で雇用を生み出せなんて「バトル・ロワイアル」くらいしかないんじゃないでしょうか、いやほんとに。コロッセウムです、「グラディエーター」です。戦争に公共事業の側面があったことを否定できる人はいるんでしょうか。殺人委託でもマフィアでも立派なお仕事です。生活を言い訳にするなと言えるのは生活を言い訳にできないシステム(国民配当など)を支持している人だけです。


2021年1月28日木曜日

マスクの常識

今だとマスクしないと非常識だと言われるみたいですが、精神科の社会療法に通っていたときには風邪を引いていてもマスクは外せと指導されました。数年前の話ですね。

その人は風邪を引いたから移しちゃいけないということでマスクをしてそれも説明していたんですが、顔が見えないのは社会人としておかしいから外しなさいと。今だとどう指導するんでしょうね。それとも担当の人の個人的な考えによって変わるんですかね。

やっていることは社会の主流的な「なにか」への「適応」なんでしょう。それを治療と呼んでるのが実態だと思います。心身の健康や医療って一体なんのかなと、社会って何のためにあるのかなと、ふと思っただけです。


ロボティックプロセスオートメーション

ロボティックプロセスオートメーション(duckduckgo検索結果)


 大きな特徴はソフトウェアが人間の代わりに人間向けに作られたソフトウェアやシステムを操作して作業を進める点で、システム側で自動化の仕組み(マクロやスクリプト、外部開放APIなど)が用意されていない場合や、複数のシステムをまたいだ作業なども、人間が操作可能であればそのまま自動化することができる。 
 e-words(RPA)より引用

 

RPA、手作業工程の自動化の一環らしいです。この流れは基本的に不可逆だろうと考えられます。生産性向上は失業と同義だということを認める人が増えればいいと思います。

検索してみたら相変わらず自動化を労働力人口の減少や残業過多に対する解決策みたいに言っていましたが、建前として十分通用してしまうから金科玉条として掲げているんだと思います。自動化による人件費削減が人口減少やブラック労働に繋がってるなんてまともなこと言ったら競争出来ませんから。ロボットにしちゃえば内部からは文句出ないし(多分)。

ただ企業も企業で今後自動化された工程で作られた商品を一体誰に売るつもりなのかなと私などはいつも思っています。

私自身は最終消費者の考えが鍵かなと思います。国民配当は国民を起点としておカネを流す政策でもありますから、そういう意味で国民消費者が動かないとどうしようもないという部分は大きいと考えるからです。収入は労賃だけでないと嫌だと国民が言うなら労働者としてロボットと競争するしかないでしょう。最もその結果が自動化で数万時間削減したとかなんですが。

 

2021年1月22日金曜日

生命の市場価値

自然を相手にしていた時はどうだったかわかりませんが、今社会の奥で一生を過ごすような人は、市場価値があるから生きることを許されているところがあります。何に許されているかといえば社会システムとそれを支持している自分自身です。全ての所作が自らの市場価値に通じていないといけない、そういう物差しにわざわざ自分達を縛り付けているのが今の人間模様だと思います。

子供達は絵を描けば勉強しろと言われ、運動をすればテストの成績が下がったと言われ、本心からの言葉を投げかければ黙るように要求される。やりたいことについてどれだけマネタイズが難しいか「現実」を力説される。小さな芽吹きのように、ただ表現したかっただけ、ただ出来たことが嬉しかっただけ、ただ共有したかっただけ、ただ夢を描いてみただけなのに、とんでもないと踏み荒らされる。その時の落下するような感覚は私も知っています。

表現したり感じたり動いたり話したり、それは後回し、何より優先すべきは自らの市場価値だということを「教育」する必要があると不安な大人は考えるのでしょう。夢はそれからだと。一体0コンマ何%の人々がそんな要求と夢を追えるのかわかりませんが、見せかけの自由の結果、そういう結論に行き着くわけです。社会は人為的なシステムですが、それを自然のシステムと同一視しているのではないかと思います。

人間として自然な欲求を抑圧して事に当たらなければならない、まさしく緊急事態です。でも自然災害などではなくて、社会システムという人為的プログラムのバグに振り回されているだけです。おカネの問題ですから。ちなみにおカネというのは請求権です。他の人は知りませんが私はそう解釈しています。おカネが必要なくなる時は権利という概念が不要になった時でしょう。それがどんな未来かはわかりません。

社会という視点でかなり革新的なアニメだった「けものフレンズ」も、皆に富を請求する権利が無条件に付与されていると見なすこともできると思います。自動生産された(確かそんな設定だったような気がします)食糧をボスと呼ばれる機械獣からもらっているのを見ればわかりますが、そのおかげで誰もが市場価値に左右されずに健康に生きることが出来ていたわけです。あの作品では途中で古い硬貨が出てきますが、口ぶりから推測するに権利という本質的な意味は失われていると考えられます。硬貨を嬉しそうに拾い上げたのがツチノコのキャラというのも面白い構図だと思います。そこにかつて見いだされていたであろう権利というのは、目に見えない、耳にも聞こえない、触れもしない、匂いもない、そういうものです。そこにあった貨幣としての本質は登場キャラクター達の社会に無言の約束として溶け込んだのかもしれないと思います。

 

現行社会システムは市場価値という物差しで生命や環境を選別し、極めて破壊的に振る舞います。理由は国民配当(ベーシックインカム)が無いからです。購買力は労賃しかない一方で、供給力は労働力の他に自動化設備がある。生産性が向上する度に低労賃、無収入者が増える。要は「全部無人で作れるのに誰も請求できない」状況がありえるわけです。現状はと言うと工場も無人化、コンビニも無人化、運転も無人化の流れ。こぼれ落ちた人間の救済は、あいも変わらず現役の人々の労賃からの負担。人間に対しては容易に無能とか自己責任といった罵倒を叩きつける割に、これを欠陥システムとは言わないのですかね。現行システムありきで考える人が多すぎるのではないでしょうか。

国民配当を実装しない限り、施策としては今後も無意味な選別が続くのだろうと思います。例えば男と女は両方揃って一つの生命といっても過言ではないのに、国民配当という合理的でそれこそ男女平等な施策ではなく、どちらかを優遇しろと主張するのは筋がよくないと思います。人間は働かなくていいために働いているはずなのに、自動化した成果を国民配当で分配しないまま失業を恐れ無職を蔑むのはどうしてでしょうか。困っている人を無能、自己責任と切り捨てることが当たり前になっていて、その解釈に至るまでにどんな前提があるのか全く疑問に思わないのでしょうか。

こうした選別はたいてい問題解決に繋がらないし、事態が複雑になっていくばかりだと思います。最初は何か自分達を優遇しろと主張していた(2つ)ものが、別の物差しを追加する(4つ)とかです。これだけで4分割。例えば性差の他にも職、年齢、既婚かどうか、子供がいるかどうか、パートナーのステータス、子供のステータス、いくらでも選別しようという向きは見られます。その採用した数だけ累乗されます。

果たしてこれは問題解決なのですかね。指数関数的に狭まっていく何万分の1の先にだけ幸福は存在するのでしょうか。私は役に立たない物差しをいくら持ち出しても解決には無意味と解釈します。平等や発展を目指すなら国民配当(1つ)の方向性でいいと思います。争う必要もありませんし。万能とまでは言えませんが、大抵のことはこれで解決すると思います。物差しは適切な場面でだけ使うべきです。

以前に養護施設だかが襲撃されて殺人が起きた事件があったと記憶しています。表面的な情報しか見ていませんが、殺人犯はその行いを正義だと信じていたように見えました。市場価値にならない人々はそれ以外の人々の邪魔、存在が無駄でしかないという思考を頭の中で何度も繰り返していたのでしょうか。何がきっかけで自分も歩けなくなったりするかもわからないのに、そうなった自分が惨たらしく殺されることを受け入れられるのか。自分の浅はかな物差しでは予想できないところに他人の素晴らしさがあるとは思わないのか。現行システムありきで考える危険性がここにもあるのではないでしょうか。

将来的には知りませんが、社会や技術への依存、生命維持活動や生殖活動をやめられない以上、社会システムをより自然なかたちに変えていくしか無いと思います。それとも、社会システムありきで市場価値のないものを無駄と切り捨て続けるでしょうか。自分がそうなった時、納得して生命を捨てられるのでしょうか。もしそうなら現行システムへの信仰が深いんだろうと思います。労働教、所有教、自己責任教、市場価値教、そして社会システム。神なき世界になったという言葉をネットで見かけましたが、むしろ色んなカミさまを今も人間は信じているんだなあと私などは思います。


2021年1月14日木曜日

国民配当の前提やビジョンなど

国民配当(ベーシックインカム)の議論とは言いますが、それ以前に国民配当が何か、なぜ必要なのかという前提がまるで共有されていないという状況のようです。

生産力の内訳と対応する分配方法と考えればシンプルです。

 

(生産力の内訳)➨(対応する分配方法)

 労働生産力  ➨   労賃(労働者が対象)

 自動生産力  ➨ 国民配当(労働者含む全員が対象)

 

自動化して生産性が向上し、失業が進んでいることも調べて確認してください。ネットで検索すればいくらでも無人化の例が見つかります。

これらの前提を統合すれば、国民配当が無理のない、避けられない施策であることが自然と導かれます。判断するにしろ議論をするにしろ、前提として絶対に押さえてください。 

既存のシステムでは自動化して生産性向上しても、分配手段が労賃しかありません。このことによって発生する問題は枚挙にいとまがなく、どれも致命的です。それらは通貨循環が正常化していけば自然と解消していくと考えられるため、現在の問題の全てを細かく論じる意味はあまりないかもしれません。

しかし自分の直面している問題、あるいは他人が抱える問題がどのように解消していくかについては、自分なりにイメージしておく意味は大きいと思います。

 

例えば以下は私がイメージする「国民配当(BI)のある未来」です。いくらかは需給ギャップの解消が進んだ時期とお考えください。

ある家庭の親です。国民配当によっておカネと暇が増えました。それまで仕事漬けの日々だったのでどうしたものかと思っていたのですが、子供が毎日のように何か引き起こすので忙しくも楽しい日々を送っています。自分だけの時間が欲しいなどの時は、信頼できる人に子供の面倒を見てもらうよう頼める経済的余裕や、近所の人々の助けもあります。こうした交流や助け合いは自然と普通になっています。

ある家族、恋人でもいいです。仕事と恋人、あるいは仕事と家族どっちが大事というような問いかけには、しょうがないという考え方をしていましたが、それは社会システムの問題だったこと、知らず自分達の気持ちを抑圧していたことに気付きます。

ある労働者です。辛く正当に評価されない仕事を拒否し、能力が正当に評価されるチャンスがきました。否応なしに思考停止・感情麻痺して働く必要はもうありません。一旦労働者をやめて、ゆっくり英気を養うのでもいいかもしれません。能力を磨いて競争に身を投じてみるのもいいかもしれません。安全や生活が保障されているとわかると、安心感や意欲が湧いてきます。

ある研究者です。購買力の不足が解消してきたことで、何でもかんでもカネになるかどうかを問われることがなくなり、予算も増えて自由に研究することができるようになりました。

ある労働者です。人はなんとなく働くものだと考えていて、真剣に貢献の意味を考えたことはありませんでした。仕事や生活を言い訳にいろんなことを犠牲にしてきたことにも気付きました。経験を再解釈して役立たせることもできます。

 

すぐに思いつくのはこんな感じです。いかに社会システムの欠陥に縛られて活動が制限されているか、仕事や慣習を言い訳にして真剣に人生を捉えられていないかということでもあると思います。

 

ここまで書いてふと思い出したので以下の「死に際の後悔トップ5」を引用しておきます。機械翻訳が下の方にあります。


The Top 5 Regrets of The Dying
ttps://www.collective-evolution.com/2013/04/27/the-top-5-regrets-of-the-dying/

上記リンクより引用


"1. “I wish I’d had the courage to live a life true to myself, not the life others expected of me.”

“This was the most common regret of all. When people realise that their life is almost over and look back clearly on it, it is easy to see how many dreams have gone unfulfilled. Most people had not honoured even a half of their dreams and had to die knowing that it was due to choices they had made, or not made. Health brings a freedom very few realise, until they no longer have it.”

2. “I wish I hadn’t worked so hard.”

“This came from every male patient that I nursed. They missed their children’s youth and their partner’s companionship. Women also spoke of this regret, but as most were from an older generation, many of the female patients had not been breadwinners. All of the men I nursed deeply regretted spending so much of their lives on the treadmill of a work existence.”

3. “I wish I’d had the courage to express my feelings.”

“Many people suppressed their feelings in order to keep peace with others. As a result, they settled for a mediocre existence and never became who they were truly capable of becoming. Many developed illnesses relating to the bitterness and resentment they carried as a result.”

4. “I wish I had stayed in touch with my friends.”

“Often they would not truly realise the full benefits of old friends until their dying weeks and it was not always possible to track them down. Many had become so caught up in their own lives that they had let golden friendships slip by over the years. There were many deep regrets about not giving friendships the time and effort that they deserved. Everyone misses their friends when they are dying.”

5. “I wish that I had let myself be happier.”

“This is a surprisingly common one. Many did not realise until the end that happiness is a choice. They had stayed stuck in old patterns and habits. The so-called ‘comfort’ of familiarity overflowed into their emotions, as well as their physical lives. Fear of change had them pretending to others, and to their selves, that they were content, when deep within, they longed to laugh properly and have silliness in their life again.”"

引用終わり

 

日本語訳(DeepL翻訳) 

瀕死の後悔トップ5
ttps://www.collective-evolution.com/2013/04/27/the-top-5-regrets-of-the-dying/

1. "他人に期待される人生ではなく、自分らしく生きる勇気があればよかった"

"これが一番多かった後悔です。人は自分の人生がもうすぐ終わることに気づき、それをはっきりと振り返ると、どれだけ多くの夢が叶わずに終わってしまったかが容易にわかります。ほとんどの人々は、彼らの夢の半分であっても尊重していなかったし、それは彼らが作った、または作られていない選択のためであったことを知って死ななければならなかった。健康は、彼らがもはやそれを持たなくなるまで、ほとんどの人が気づくことのない自由をもたらします。

2. "頑張らなければ良かった"

"これは私が看護した全ての男性患者からの言葉です 彼らは、子供たちの若さとパートナーの交友関係が恋しいのです。女性もこの後悔を口にしていましたが、ほとんどが年配の方だったので、女性患者の多くは稼ぎ頭ではありませんでした。私が看護していた男性は皆、仕事をしながらの生活に人生の多くを費やしてきたことを深く後悔していた。

3. "自分の気持ちを表現する勇気があればよかった"

"多くの人は、他人との平穏を保つために自分の気持ちを抑圧していました。その結果、平凡な存在に落ち着き、本当の自分にはなれなかった。その結果、多くの人が恨みや恨みを抱えて病気になってしまったのです。

4. "友人と連絡を取り合っていればよかった"

"多くの場合、彼らは死の数週間前まで旧友の恩恵を十分に実感することができず、彼らを追跡することができないこともありました。多くの人が自分の生活に夢中になってしまい、何年にもわたって黄金の友情を逃してしまったのです。友情に相応しい時間と努力を与えなかったことを深く後悔している人がたくさんいました。誰もが死ぬときに友人を恋しく思うものだ。"

5. "自分をもっと幸せにさせてあげればよかった"

"これは意外と多いものです。多くの人は、幸せは選択であることを最後まで気づかなかった。彼らは古いパターンや習慣から抜け出せずにいたのです。いわゆる「快適さ」と呼ばれる親しみやすさが、彼らの感情や身体的な生活にあふれ出ていたのです。変化を恐れるあまり、他人や自分自身には満足しているふりをしていましたが、心の奥底では、きちんと笑って、再び自分の生活の中でおかしなことをしたいと思っていました。"

2021年1月8日金曜日

国民配当ときつい仕事

嫌なことを断れない社会は正しいか

「BI(国民配当)をしたら、きつい仕事を誰もしなくなる」

こういう主張がありますが、私はBI(国民配当)をしたら、きつい仕事への報酬や設備投資が増えると考えます。また、技術の発達が著しいため、生産性の問題はあまり心配する必要はないように思います。つまり、きつい仕事をしたくなければしなくても問題ありません。

 

国民配当の効果:購買力の増加

自動化による過剰供給力と、技術的失業によって無収入化してしまう問題への解決策が国民配当です。社会に積み上がった技術遺産によって生まれる過剰供給力を分配するため、国民配当が社会システムに組み込まれると購買力が増えます。これは国民配当が既存の分配システムと異なる重要な点です。

  • 労働者の収入   ⬅ 🌟国民配当+💦労賃
  • 非労働者の収入 ⬅ 🌟国民配当

請求対象はこうなります。無秩序に購買力を拡大するということではありません。

  • 労働者の請求   ➨ 🌟自動化の成果+💦労働の成果
  • 非労働者の請求 ➨ 🌟自動化の成果

社会を循環するおカネが増えると企業の売上も増え、仕事への報酬や投資といった問題解決のために使えるおカネが増えると考えられます。

 

国民配当の効果:労働供給過剰の解消

現在の労働市場における供給過剰は国民配当によって解消され、報酬水準は適正範囲になっていくと考えられます。

  • 過小な労賃 ⬅ 人件費<労働供給(過剰) ⬅ 💀逃げ場がない(現状)
  • 適正な労賃 ⬅ 人件費=労働供給(適正) ➨ 🌟拒否権限(国民配当)

上記の過小な労賃の構造は現在の労働環境のものです。働かないとおカネがもらえないシステムでは、労働供給は常に過剰な状態に陥り、労賃の単価も下がります。そうやって困窮させておけば安く人をコキ使えるとか支配出来るのではないかと目論む考えもありえます。

現在の労働者が購買力を得る手段は労賃だけである一方、企業は購買力の使いみちとして労賃と設備投資の選択肢があります。労働者が理不尽であっても耐えるしかない一方、企業は自動化への投資というカードを出すことで、生産性と労働問題、そして競争力の問題は解決できたと主張できます。実際、自動化によって生産性や競争力の意味では解決していると言えます。高い生産性を実現するのは、労働力というよりは技術力だからです。

 

労働市場の縮小

国民配当によって労働供給が絶対的に不足するとまでいかないと考えるのは、労働が禁じられるわけではないから、そしてテクノロジーによって今後も労働需要が縮小していくと考えられるからです。

日本の労働人口の49%が人工知能やロボット等で代替可能に(野村総合研究所)

ttps://www.nri.com/-/media/Corporate/jp/Files/PDF/news/newsrelease/cc/2015/151202_1.pdf

こちらを読んだことがなければ、すぐ読み終わるので一度は読むことをおすすめします。49%という数字が驚異的なのは、「業務全てを高い確率(66%以上)でコンピューターが代わりに遂行できる」という基準で試算しているためです。業務の一部ではなく全てとのことなので、残り51%も程度に差こそあれ部分的には置き換わっていく可能性があります。あくまで「代替可能」という話ですが、自動化コストが下がれば下がるほど、代替や労賃の値切りが進むのは避けられないと考えられます。

 

労働市場の外の社会や世界

国民配当があるシステムでは、活躍する人は本当に才能ややる気があるのでしょうし、誰もやりたがらないきつい仕事には相応の報酬があって、報われやすいのではないでしょうか。自動機械に生活を支えてもらうことでチャレンジングの機会が増え、予想外な人が一線級で活躍するかもしれません。

人間は労働市場の物差しでのみ評価されるものではありません。労働市場だけが人生のフィールドではありません。国民配当でおカネから支配される社会を抜け出し、学天則を実現していきましょう。


この記事のような内容をわかりやすく楽しく説いている「最強のベーシックインカム」がオススメです。

ttps://www.amazon.co.jp/dp/B07F7TJCD7/ref=dp_kinw_strp_1

2021年1月4日月曜日

うつ病の科学

うつ病について最近明らかになった一面として、ウィルスが関係しているそうです。

 

Human Herpesvirus 6B Greatly Increases Risk of Depression by Activating Hypothalamic-Pituitary -Adrenal Axis during Latent Phase of Infection

ttps://www.cell.com/iscience/fulltext/S2589-0042(20)30372-2

以下ハイライトの引用

Highlights

  • We identified SITH-1, a new protein specific to HHV-6B latent infection
  • Mice expressing SITH-1 at HHV-6B latent infection site had depressive symptoms
  • Depressive symptoms due to SITH-1 were associated with a hyper-activated HPA axis
  • SITH-1-specific antibody detection significantly greater in depressive patients

引用終わり

以下DeepL翻訳に翻訳してもらったものです。

 

ヒトヘルペスウイルス6Bは感染の潜伏期に視床下部-下垂体-副腎軸を活性化することでうつ病のリスクを大幅に増加させる

ハイライト

  • HHV-6B潜伏感染に特異的な新規タンパク質SITH-1を同定
  • HHV-6B潜伏感染部位でSITH-1を発現したマウスでは、抑うつ症状がみられた。
  • SITH-1による抑うつ症状はHPA軸の高活性化と関連していた
  • うつ病患者ではSITH-1特異的抗体検出率が有意に高い

 


ウイルス研究から判る疲労の正体

ttps://www.japanprize.jp/seminar_resume_191_kondo.html 

以下引用


 「疲労」はストレスの蓄積によって生体機能に障害が生じた状態を、「疲労感」は疲労を脳が主観的に定量する感覚を指します。 「疲労感」は、報酬や、やり甲斐などでマスクされ易いため、「疲労感」のみで「疲労」を定量しようとすると、様々な問題が生じます。 そこで、「疲労」を客観的に測定するために、疲労によって変化する生体のバイオマーカーを発見し、これを利用して疲労を測定する様々な方法が検討されています。


 我々は、疲労を客観的に測定するために、「疲れるとヘルペスという水泡が唇にできる」という現象に着目しました。 この現象は、通常は宿主の体内に潜伏感染しているヘルペスウイルスが、疲労によって宿主の危機が生じると再活性化し、他の宿主を求めて体外に放出されるという現象です。 ヒトのヘルペスウイルスは8種類知られていますが、この中でも労働による疲労にはヒトヘルペスウイルス6(HHV-6)が良く反応し、基礎疾患がある場合の疲労にはHHV-7が反応することが判りました。


 このことは逆に、疲労によるヘルペスウイルス再活性化のメカニズムを解析すれば、疲労の分子メカニズムを解明することが可能となることを示しています。 我々は、HHV-6の再活性化機構を詳細に検討することで、疲労因子を同定することに成功しました。 この因子は、マウスに不眠や水泳などによる疲労を与えると様々な臓器で発現が亢進することと、この因子を遺伝子導入によって発現を誘導すると、マウスの自発運動量が低下することから、疲労という現象の中心的な働きをする因子であることが判りました。 また、この因子の働きを抑制する因子も疲労負荷によって発現が亢進することが判り、この研究が、疲労のメカニズムの解明や疲労回復法の開発を可能にするものと考えています。


 疲労によって再活性化するHHV-6の重要な特徴として、脳内に潜伏感染するという性質が挙げられます。 我々は、HHV-6の再活性化時に発現が誘導される潜伏感染遺伝子タンパクSITH-1を発見しました。 また、このSITH-1に対する抗体が、うつ病などの気分障害患者で特異的に検出されることや、SITH-1を脳内で発現させたマウスが気分障害様の行動異常を示すことを見出し、疲労によるHHV-6の再活性化が、うつ病などを引き起こす可能性を示すことができました。


 この様な研究から、ウイルス、特にヘルペスウイルスは、疲労と密接な関係を持ち、疲労に関する多くの情報をウイルス研究から引き出せることが判りました。 我々は、この様な研究が、疲労や精神障害を改善するのに役立つものと考え、研究をさらに進めています。

引用終わり

 

こちらも参考になりました


【うつ病と疲労の関係性】ヒトヘルペスウイルス6型とうつ病の発症のメカニズムとは

ttps://hidamarikokoro.jp/kanayama/blog/%e3%80%90%e3%81%86%e3%81%a4%e7%97%85%e3%81%a8%e7%96%b2%e5%8a%b4%e3%81%ae%e9%96%a2%e4%bf%82%e6%80%a7%e3%80%91%e3%83%92%e3%83%88%e3%83%98%e3%83%ab%e3%83%9a%e3%82%b9%e3%82%a6%e3%82%a4%e3%83%ab%e3%82%b96/

 

意見

こうした病のメカニズムが次第に明らかになってきたと思います。

  1. 質的栄養失調によるエネルギー産生の低下、免疫力も低下
  2. 社会システムによって事実上強制される過大なストレス
  3. 1や2を中心とした疲労の蓄積をトリガーとしてうつ病のリスクを増大させるウィルスが活性化

1と2の他にもストレス要因はたくさんあると思いますが、とりあえずほとんど誰にとっても現代社会の中心的な問題と考えられるものを挙げました。1の質的栄養失調については知識があればそれなりに個人で対策可能と思いますが、2は国民配当を急ぐ必要があると思います。

今回取り上げた内容については、人間も自然の一部である以上、身体の外部と相互に影響を与えながら生きているということを改めて考えさせられました。