2021年1月14日木曜日

国民配当の前提やビジョンなど

国民配当(ベーシックインカム)の議論とは言いますが、それ以前に国民配当が何か、なぜ必要なのかという前提がまるで共有されていないという状況のようです。

生産力の内訳と対応する分配方法と考えればシンプルです。

 

(生産力の内訳)➨(対応する分配方法)

 労働生産力  ➨   労賃(労働者が対象)

 自動生産力  ➨ 国民配当(労働者含む全員が対象)

 

自動化して生産性が向上し、失業が進んでいることも調べて確認してください。ネットで検索すればいくらでも無人化の例が見つかります。

これらの前提を統合すれば、国民配当が無理のない、避けられない施策であることが自然と導かれます。判断するにしろ議論をするにしろ、前提として絶対に押さえてください。 

既存のシステムでは自動化して生産性向上しても、分配手段が労賃しかありません。このことによって発生する問題は枚挙にいとまがなく、どれも致命的です。それらは通貨循環が正常化していけば自然と解消していくと考えられるため、現在の問題の全てを細かく論じる意味はあまりないかもしれません。

しかし自分の直面している問題、あるいは他人が抱える問題がどのように解消していくかについては、自分なりにイメージしておく意味は大きいと思います。

 

例えば以下は私がイメージする「国民配当(BI)のある未来」です。いくらかは需給ギャップの解消が進んだ時期とお考えください。

ある家庭の親です。国民配当によっておカネと暇が増えました。それまで仕事漬けの日々だったのでどうしたものかと思っていたのですが、子供が毎日のように何か引き起こすので忙しくも楽しい日々を送っています。自分だけの時間が欲しいなどの時は、信頼できる人に子供の面倒を見てもらうよう頼める経済的余裕や、近所の人々の助けもあります。こうした交流や助け合いは自然と普通になっています。

ある家族、恋人でもいいです。仕事と恋人、あるいは仕事と家族どっちが大事というような問いかけには、しょうがないという考え方をしていましたが、それは社会システムの問題だったこと、知らず自分達の気持ちを抑圧していたことに気付きます。

ある労働者です。辛く正当に評価されない仕事を拒否し、能力が正当に評価されるチャンスがきました。否応なしに思考停止・感情麻痺して働く必要はもうありません。一旦労働者をやめて、ゆっくり英気を養うのでもいいかもしれません。能力を磨いて競争に身を投じてみるのもいいかもしれません。安全や生活が保障されているとわかると、安心感や意欲が湧いてきます。

ある研究者です。購買力の不足が解消してきたことで、何でもかんでもカネになるかどうかを問われることがなくなり、予算も増えて自由に研究することができるようになりました。

ある労働者です。人はなんとなく働くものだと考えていて、真剣に貢献の意味を考えたことはありませんでした。仕事や生活を言い訳にいろんなことを犠牲にしてきたことにも気付きました。経験を再解釈して役立たせることもできます。

 

すぐに思いつくのはこんな感じです。いかに社会システムの欠陥に縛られて活動が制限されているか、仕事や慣習を言い訳にして真剣に人生を捉えられていないかということでもあると思います。

 

ここまで書いてふと思い出したので以下の「死に際の後悔トップ5」を引用しておきます。機械翻訳が下の方にあります。


The Top 5 Regrets of The Dying
ttps://www.collective-evolution.com/2013/04/27/the-top-5-regrets-of-the-dying/

上記リンクより引用


"1. “I wish I’d had the courage to live a life true to myself, not the life others expected of me.”

“This was the most common regret of all. When people realise that their life is almost over and look back clearly on it, it is easy to see how many dreams have gone unfulfilled. Most people had not honoured even a half of their dreams and had to die knowing that it was due to choices they had made, or not made. Health brings a freedom very few realise, until they no longer have it.”

2. “I wish I hadn’t worked so hard.”

“This came from every male patient that I nursed. They missed their children’s youth and their partner’s companionship. Women also spoke of this regret, but as most were from an older generation, many of the female patients had not been breadwinners. All of the men I nursed deeply regretted spending so much of their lives on the treadmill of a work existence.”

3. “I wish I’d had the courage to express my feelings.”

“Many people suppressed their feelings in order to keep peace with others. As a result, they settled for a mediocre existence and never became who they were truly capable of becoming. Many developed illnesses relating to the bitterness and resentment they carried as a result.”

4. “I wish I had stayed in touch with my friends.”

“Often they would not truly realise the full benefits of old friends until their dying weeks and it was not always possible to track them down. Many had become so caught up in their own lives that they had let golden friendships slip by over the years. There were many deep regrets about not giving friendships the time and effort that they deserved. Everyone misses their friends when they are dying.”

5. “I wish that I had let myself be happier.”

“This is a surprisingly common one. Many did not realise until the end that happiness is a choice. They had stayed stuck in old patterns and habits. The so-called ‘comfort’ of familiarity overflowed into their emotions, as well as their physical lives. Fear of change had them pretending to others, and to their selves, that they were content, when deep within, they longed to laugh properly and have silliness in their life again.”"

引用終わり

 

日本語訳(DeepL翻訳) 

瀕死の後悔トップ5
ttps://www.collective-evolution.com/2013/04/27/the-top-5-regrets-of-the-dying/

1. "他人に期待される人生ではなく、自分らしく生きる勇気があればよかった"

"これが一番多かった後悔です。人は自分の人生がもうすぐ終わることに気づき、それをはっきりと振り返ると、どれだけ多くの夢が叶わずに終わってしまったかが容易にわかります。ほとんどの人々は、彼らの夢の半分であっても尊重していなかったし、それは彼らが作った、または作られていない選択のためであったことを知って死ななければならなかった。健康は、彼らがもはやそれを持たなくなるまで、ほとんどの人が気づくことのない自由をもたらします。

2. "頑張らなければ良かった"

"これは私が看護した全ての男性患者からの言葉です 彼らは、子供たちの若さとパートナーの交友関係が恋しいのです。女性もこの後悔を口にしていましたが、ほとんどが年配の方だったので、女性患者の多くは稼ぎ頭ではありませんでした。私が看護していた男性は皆、仕事をしながらの生活に人生の多くを費やしてきたことを深く後悔していた。

3. "自分の気持ちを表現する勇気があればよかった"

"多くの人は、他人との平穏を保つために自分の気持ちを抑圧していました。その結果、平凡な存在に落ち着き、本当の自分にはなれなかった。その結果、多くの人が恨みや恨みを抱えて病気になってしまったのです。

4. "友人と連絡を取り合っていればよかった"

"多くの場合、彼らは死の数週間前まで旧友の恩恵を十分に実感することができず、彼らを追跡することができないこともありました。多くの人が自分の生活に夢中になってしまい、何年にもわたって黄金の友情を逃してしまったのです。友情に相応しい時間と努力を与えなかったことを深く後悔している人がたくさんいました。誰もが死ぬときに友人を恋しく思うものだ。"

5. "自分をもっと幸せにさせてあげればよかった"

"これは意外と多いものです。多くの人は、幸せは選択であることを最後まで気づかなかった。彼らは古いパターンや習慣から抜け出せずにいたのです。いわゆる「快適さ」と呼ばれる親しみやすさが、彼らの感情や身体的な生活にあふれ出ていたのです。変化を恐れるあまり、他人や自分自身には満足しているふりをしていましたが、心の奥底では、きちんと笑って、再び自分の生活の中でおかしなことをしたいと思っていました。"