2021年12月31日金曜日

罰とルール

自治体報に体罰特集がありましたのでまず紹介します。

 

(以下引用)

体罰などによらない子育てのために

みんなで育児を支える社会に

 

子どもへの体罰は法律で禁止されています

 令和元年6月に児童福祉法等改正法が成立し、親権者などは、児童のしつけの際に、体罰などを加えてはならないことが法定化され、令和2年4月から施行されています。

 

なぜ体罰などはいけないのか

体罰などによる悪循環

 子どもが思ったとおりに行動してくれず、イライラしたときに、「子供のしつけのためだから仕方ない」として、たたいたり、怒鳴るなどの体罰などを行っていませんか。子どもは体罰などをされると、大人への恐怖心から一時的に言うことを聞くかもしれませんが、それは自分で考え行動した姿ではありません。このようなやりとりは根本的な解決にならず、むしろ自分も周りの人に対して同じように振舞ってよい、と子どもが認識するきっかけにもなります。

体罰などが子供に与える影響

 体罰などが子供の成長・発達に悪影響を与えることは科学的にも明らかになっており、このような行為が繰り返されると、その体験がトラウマなど(心的外傷)となって、心身にダメージを引き起こし、その後の子どもの成長・発達に悪影響を与えます。また、子どもが保護者に恐怖心などを抱くと、信頼関係が築きにくくなり、悩みを相談したり、心配事を打ち明けられなくなります。安心できる場であるはずの家庭が、自分の居場所であると感じられなくなり、対人関係のトラブルや非行、犯罪被害など、別の大きな問題に発展してしまう可能性があります。

 

体罰以外の子どもの心を傷つける行為

 体罰は身体的な虐待につながり、さらにエスカレートする可能性がありますが、その他の著しく監護を怠ることや、子どもの前で配偶者への暴力などについても虐待として禁止されています。また、怒鳴りつけたり、子どもの心を傷つける暴言なども子供の健やかな成長・発達に悪影響を与える可能性があります

(中略)

 

児童虐待とは

・身体的虐待

 殴る、蹴る、叩く、やけどを負わせる、家の外に閉め出すなど

・性的虐待

 子どもへの性的行為、性的行為を見せる、ポルノグラフィーの被写体にするなど

・ネグレクト

 乳幼児を家に残して外出する、食事を与えない、ひどく不潔なままにする、自動車の中に放置する、重い病気になっても病院に連れていかないなど

・心理的虐待

 言葉により脅かす、無視する、きょうだい間で差別的な扱いをする、子どもの前で家族に対して暴言や暴力をふるう(DV)など

(以下略)

(引用終わり)


 

 


考え

罰は恐怖反応

体罰は罰の一種で、肉体的苦痛によって相手をコントロールする方法と言えます。体罰によってもたらされる反応は、銃刀を持った相手を前にして逃げたり従ったりするのと同じであり、信頼関係や理解は関係ありません。また、重要な点として罰は自動的な作用とは違う作為的なものです。

罰のシステム

戦争には督戦という、逃亡する味方を殺す罰のシステムがあるそうです。戦争に限らず「他に代わりはいる」などと言って従わせる等、罰のシステムは今の社会、いたるところで猛威を奮っています。「働かざる者食うべからず」もそうですが、現実に適していないため生きづらさの原因になっているのだろうと思います。

労働市場が労働者過剰で、使い捨てても代わりが見つかりやすいのは事実と考えられます。これは技術的失業、低労賃、低売上、土地建物の放棄(権利者不明状態の増加)など、社会の諸々の情報から自分なりに判断しています。原因の一つは技術的失業への無策と考えています。

罰のシステムがもたらすもの

罰のシステムは何をもたらすのか。例えば山岳ベース事件は、ある社会で体罰によって複数人が殺された事件です。そこではリーダー格の機嫌を損ねれば体罰(死刑)を受けるという暗黙のルールがあり、その状況を単に指摘することも禁忌だったそうです。この閉鎖的な社会では、被害者の死をジコセキニンとして片付けるために「敗北死」という言葉も発明されたそうです。

また、幼児が親に虐待で殺されたある事件では、親が「誰のおかげで生活できていると思っている」などと言いながら子供に体罰を加えていたそうです。その結果子供は死にました。きっと大変苦しくて怖かっただろうと思います。

客観的に正しい・間違っているではなくて、従うか逆らうかだけで決まるのが罰のシステムと言えます。それが期待した結果をもたらすルールならまだいいですが、そうでないのならそんなルールはどれだけ賞罰で押し通そうと被害が増えるだけです。何のためのルールかをよく考えなければならないと思います。

必要なものは罰より収入などの余裕

家庭問題に取り組む方がこのようなことを言っていました。「親子でもつきっきりでいると自然なこととして疲れてきます。イライラもしてきます。地域で子供の面倒を見て親にリフレッシュの機会を与えてあげられる余裕が以前はありました」

引用にも「みんなで育児を支える社会に」とありますが、このビジョンを実現・維持するためにはBI(国民配当)が必要と考えられます。ちょうどAI(人工知能)などが注目されていることですし、技術的失業への対策を取ったほうがいいと思います。

心の余裕は物質的な充足の上に成り立つもので、物質と精神のトレードオフという人間観は間違いだと思います。現代社会において広く物質的な豊かさが実現しているのは誤解や思い込みではないでしょうか。貧困が改善しているという調査・考察もあるのでしょうか。

私は育った家が廃墟になっていた光景を未だに思い出します。時間が経つにつれ街全体がゴーストタウン化しつつあるように見えました。大企業や都市部は被害が零細や地方より遅れてくるだけで、貧困の影響は避けられないと思います。

罰の中毒性

仕事を選ばなければいい、貧困はジコセキニンなどと言う人達の「正義」は「ルールに従うこと」だけで、それが正しいかまでは気にしていないと思います。つまり単なる日和見主義、あるいは権威主義や事大主義です。「敗北死」も無理を要求し、出来ずに死ねばその人のせいということでしたが、それと似通った精神だと思います。

皆が仕事を選ばなくなったら社会は豊かになるでしょうか。労働市場の有効需要に大きな変化が起きるとは考えにくいです。想定される事態としては、競争や脅迫、重負担などの劣悪な環境によって、心身を壊すペースが早まることはあるかもしれません。

社会のせいにするな、ジコセキニンと言っている割に、いざ自分の態度や行動が問われると社会がそうなっているからしょうがない……日和見主義者は最高です。これまで挙げてきた体罰とか虐待の事例みたいに、自分さえ良ければ良くて、虎の威を借りて威張って鬱憤ばらししたいだけではないでしょうか。罰を与える行為にはドーパミン放出が伴うため「正義」には依存性があるのだそうです。

賞罰と正しさは別の話

賞罰に従うことが正しい結果をもたらすとは限らない事例を一つ。某国の権力者が「スズメは稲を食うから害鳥」と駆除を奨励したそうです。人々は恐らく仕事として、報酬を求めて、正義と信じてスズメ狩りをしたのではないでしょうか。ところが、天敵がいなくなった害虫の大繁殖により、大損害と大勢の人の死を招いたそうです。

人間がなぜ無駄に苦しんでいるかといえば、老子の言うところの「作為」のようなものに執着して、自然の反応を学ぼうとしないからではないかと思います。昭和天皇は侍従が雑草を刈ったと聞いてこう言ったそうです。「雑草ということはない。どんな植物でも皆名前があって、それぞれ自分の好きな場所で生を営んでいる。人間の一方的な考え方で、これを雑草と決め付けてしまうのはいけない。注意するように」

スズメ狩りの例は作為や人間の一方的な考え方で物事を測り、選別した結果、自然の反応として大打撃を受けたということが言えるのではないでしょうか。「天網恢恢疎にして漏らさず」というのはこういったことではないかと思います。カネになるならないなど目先の利益だけで物事を測るといずれ痛い目を見ると思います。

罰とルールは社会全体の問題

社会には罰のシステムが蔓延っています。このような考えに基づいて、引用の一部をより一般的なものに改変してみました。

「人は罰などを受けると、その社会への恐怖心から一時的に言うことを聞くかもしれませんが、それは自分で考え行動した姿ではありません。このようなやりとりは根本的な解決にならず、むしろ自分も周りの人に対して同じように振舞ってよい、と人が認識するきっかけにもなります。」

「罰は虐待につながり、さらにエスカレートする可能性がありますが、その他誰かの前で別の誰かへの暴力などをすることも虐待です。また、怒鳴りつけたり、人の心を傷つける暴言なども人の健康に悪影響を与える可能性があります」

よく現代日本などは平和と言われますが、私はそう思いません。多くの人が恐怖を日常的に刺激され、技術的失業への無策などによって苦しみに追い立てられているからです。これはスズメ狩りと同じように社会が間違っている事例と考えています。無人工場、無人農園、無人運送、無人店舗、BIが必要なのは明白です。完全無人じゃなくても本質が変わらないことは分かると思います。

それら無人施設の横で大勢の人が、収入が無くて飢える光景なんて誰も望んでいないでしょう。それを「ルールだからしょうがない!ジコセキニン!」と糾弾して問題から目をそらしたところで次は自分です。

「あなたと同等の働きができるロボットが時給1000円から500円でレンタル出来るようになりました。死にたくなかったからあなたは1000円で倍の働きをしてください。その程度の代わりはいくらでも持ってこれますが、同じ労賃でもっと働ける人材は全然足りないですねえ……やってくれますか。なんとありがたい……あなたは素晴らしい人材ですね、社員の鑑です」BIがなければこんなことを死ぬまで繰り返すだけでしょう。いつになったら学ぶのか知りませんが。

この問題があまり表出していないのは、雇用助成などで下駄を履かせているからではないかと。最低労賃もそうですが、健全で公正な市場競争なんてものはとっくに失われています。そこまでしても機械にじわじわ押されつつあることを自覚したほうがいいのではないかと思います。


以上、罰とルールを考えてみました。

2021年6月8日火曜日

甘いもののやめ方

【決定版】甘いものを〝科学的に〟やめるたった1つの方法

youtubeの動画です。

記事でも簡単にまとめたつもりですが、ぜひ視聴してみてください。

 

最近、子供の奇声には甘いものが関わっているという話を紹介しました。

これは以下のようなメカニズムが考えられました。

  1. 甘いものによって上昇する血糖を抑えようと、インスリンが過剰分泌する
  2. 下がりすぎた血糖を上げようとアドレナリンの分泌が増える
  3. アドレナリンは闘争や逃げることを司るため、キレる、パニックの状態になりやすい

それで甘いものはやめたほうが良いということでした。

 

私は現在甘いものをあまり摂らないので、実際やめるにはどうしたらいいのかというのを深く考えていなかったのですが、ちょうど今回紹介した動画が目についたので見てみました。

今回紹介する動画では根性論や意思の強さに頼ることを否定しています。


動画ではエネルギー産生の視点から甘いものをやめる方法を考えています。

身体のエネルギー産生方法は大きく分けて2つ存在しており、動画では「小さな工場」と「大きな工場」と呼んでいます。

「大きな工場」はミトコンドリアのことだそうです。

糖を使ってエネルギーを産み出す「小さな工場」に比べて、主に脂肪を用いるミトコンドリアは最終的に18倍のエネルギー(ATP)を産み出すそうです。

 

甘いものがやめられない人はミトコンドリアの量や稼働が十分ではなく、エネルギー不足になっているそうです。

なぜミトコンドリアが稼働していないか。

ミトコンドリアの構成や稼働に必要なタンパク質、ビタミンB、鉄、マグネシウムなどの栄養素が足りていない。

  1. 栄養不足によりミトコンドリアによるエネルギー産生が不足する
  2. 糖を利用したエネルギー産生だけでは不十分
  3. エネルギー不足で甘いものを強く欲するようになる

ミトコンドリアのエネルギー産生が不十分なままだと、上記の2と3が繰り返される。

ですから、必要な栄養を満たしてミトコンドリアが働ける環境を作り、十分にエネルギーが作られることで、甘いものを自然とやめられるということでした。


私の経験でタンパク質・ビタミン・ミネラル含めて栄養をしっかり摂りだしてから異様な空腹感に悩むことが減ったことがあります。

今回の動画のような言葉で述べれば、栄養状態が改善したことでミトコンドリアが増殖・活性化してきて、エネルギーがより沢山作られるようになったということかもしれません。

 

甘いものをやめるという切り口でしたが、いかに栄養状態を良好に保ち活動エネルギーを得るかという話の一貫と言えます。

Colin BehrensによるPixabayからの画像

2021年6月7日月曜日

子供の奇声と栄養

子どもの奇声は改善できます!奇声は元気とは違います【栄養チャンネル信長】

youtubeでオススメされた動画です。


子供の奇声で思い出すのは私の親戚の子達です。

以前会ったときに一番小さい子が奇声(金切り声)を出していて気になっていました。


動画の結論では食生活に問題があり、甘いものの摂りすぎとのことです。

  1. 甘いものを摂ると低血糖になりやすい。
  2. 低血糖になるとアドレナリンを分泌して血糖を上げようとする。
  3. アドレナリンは「逃げるか闘うか」の闘争本能を司っている。

このようなメカニズムがあり、なんでもないような時でも暴れるとか喚く、つまりキレるとかパニックのような状態になりやすいとのことです。

なのでできるだけ甘いものは与えない方が良いということです。

動画ではおにぎりやフルーツがオススメされています。

子供の奇声はビタミン・ミネラルの不足でも起きるそうです。

 

調べてみますと、糖質過多によって低血糖になるのは、急激に血糖が上がることへの反動でインスリンの過剰分泌が起きるからだそうです。

インスリンの過剰分泌によって今度は低血糖に陥るということです。

なので急激な血糖上昇にならないような食品を選ぶことが大事ということになるのかなと思います。

 

親戚の子供が奇声を上げていた経験と、たまたまオススメされた動画から興味深い知見が得られました。

他にも動画で言われていたのは奇声と元気は違うということです。

子供は元気でいて欲しいし、そのためには食生活に大きな影響力を持つ大人がまず正しい認識を求める必要があるかと思います。

2021年6月3日木曜日

熱中症と栄養

熱中症対策について考えます。

本やネットで読みかじった浅い知識で役に立つ内容ではないと思いますが、調べるきっかけくらいにはなるかもしれません。

 

熱中症耐性については、栄養状態が関わっているというのは知られていると思いますが、その詳細な内容まではあまり意識されていないのではないでしょうか。

水分はもちろん、水分調整に関わるミネラルや酵素、ビタミンといったものです。


私は減塩しおを入れた経口補水液が熱中症対策として有用ではないかと考えています。

血液中に多いミネラルはナトリウム、細胞内液に多いミネラルはカリウムと言われます。

減塩しおは減塩(塩化ナトリウムの削減)のために塩化カリウムを入れていることが多いです。

ですからミネラルバランスが食塩(塩化ナトリウム)だけのものよりも身体にとって優れていると考えられます。

カリウムは高血圧の緩和に役立つことが知られています。 

現代の食生活は何かとナトリウム過剰になりやすいと言われているので、食塩を抑えることに加えてカリウムを摂取することは適性バランスに近づけることになり、高血圧等の対策にもなると考えられます。

全国民的に食生活を改善することは、医療負担の軽減になるかもしれません。

※腎臓に問題がある場合はカリウム過剰になりやすいそうです。

 

また市販の経口補水液にはカリウムが含まれています。

家庭用の経口補水液のレシピとして公開されているものにはカリウムが抜けていることがありますが、排出量が増える暑い時は同時に摂取したほうがいいと思います。

個人的な体験ですいませんが、いくら食塩水を飲んでもすぐ尿や汗として排出されてしまい、結局熱中症になったということが何度かあって、その時の状態は推測するしか無いのですが、カリウム不足もあったのではないかと考えています。

減塩しおを使えば、市販の経口補水液と同等とまではいかなくても、ただ食塩を入れるより一段良い質を実現できるのではないかと考えられます。

また、エネルギー補給も兼ねて、カリウムが多めの食品であるバナナも食べるといいのではないかと思います。

その他、納豆もカリウムが多めと言われます。

 

これから暑くなると思います。

暑さの危険度は単純な温度だけでは測れませんので、湿度も含めた不快指数を参考にするのが良さそうです。

我慢して我慢して、症状を隠せなくなった(思うように身体を動かせなくなった)時には手遅れという事例も実際にありますので、無理をさせない社会環境づくりも大事だと思います。

出来るなら暑い時間帯は涼しい環境で身を休ませることが望ましいですが、外出や作業などの際は栄養状態や暑さ対策など気をつけてお過ごしください。


 

2021年5月7日金曜日

スーパーマンになれない私達

スーパーマンでなければウルトラマンでもいいです。

無理な要求をされると自然とそれは壊れます、というような話です。


社会システムが悪い、ということを言っちゃいけないみたいな空気があると私は感じています。

娯楽のゲームならクソゲーと遠慮なく言えるし、嫌ならやめられます。

それが例えばBIやろうみたいなことを言っちゃダメ、変えるのはダメみたいな空気に支配された社会では、必然としてプレイヤーが悪いという結論が導かれます。

苦しんでいたらとにかくその人が悪い、例え過労で死んでも無関心、そういう態度を嫌というほど目にします。 

繰り返しますがゲームだと遠慮なくクソゲーと評価出来るんですよね皆。

これが社会となると絶対的に正しいものとして捉える人がすごく多いなと思っていて、命がかかっているかそうでないかという違いがそれだけ大きいのかなとか考えています。


でも、命がかかっているからといって無条件に正しいとは言えません。

それが正しいなら「バトロワ」は正しいし、恐怖政治も正しいことになります。

賞罰は別に正しくなくても(不自然でも)下すことが出来るのです。

結局のところ、そういう社会システムは自然に照らして正しくないために崩壊に向かい、だから人類は今も社会のあり方を模索しているのだろうと思います。


中には現行システムを信じて、壊れるまで頑張ってしまう人もいます。

頑張る試みが正しいかどうかは、納得するまでやってみればいいという話ではあります。

私もそうやって自分を追い詰めてきました。 

何が正しいのかも全然わからないので、とりあえず自分を限界まで追い込んでみようと。

でも、他人がこれを強要するのは絶対におかしいと思うのですね。

しかも自分だけちゃっかり逃げてたりしたら最悪です。言うなればダサい。


あるリンチ殺人事件が昔あって、リンチで死者が出ると主犯は「死ぬのが悪い」とか「〇〇(彼らの思想)化が足りない」とか言ってたそうです。

戦前でも○○魂という言葉を何か、物食わなくても戦える魔法の呪文みたいに扱う風潮が一部であったとか。 

どう考えてもあの頃に足りないのは活動するためのカネです。

多分軍属くらいしか職がないという人が大勢いたんだと思いますが、まあ死にましたよね……痛ましいです。

ちなみにリンチ殺人の方の主犯は捕まった後、他のメンバーが黙秘する中、真っ先に自白して呆れられたとか。

しかも恐怖に耐えかねたのか自殺したそうです。

そういう事する人ってそういう人なんですね。

昨今まで続く根性信仰も同じではないかと思います。 

根性が足りないだけ、とかですね。 自分で検証する気ないんでしょう。

結局、私的な体制とか権力といったものの保守が不動の結論としてあって、それ以外のものについては勝手に不道徳だとかなんとかレッテルを貼って支配・排撃しているだけじゃないかと。


別に主義主張それ自体を否定したいわけじゃなくて、

それが万能や絶対正義みたいになっているのはどうして?

どこか前提認識に無理があるのではないか?

安易に結論を求めすぎてないか?

結論ありきになっていないか?

それは解決にはならないのではないか?

などと思うのです。

実際、何か解決しましたか?と。

 

じゃあお前はどうすればいいと思うんだ?と今までも聞かれてきたので改めて言いますが、私はBI(国民配当)支持者です。

プレイヤーが頑張るんじゃなくてゲームシステムを変えてみようという意見です。

プレイヤーとして色々と壊れるくらい頑張ってきましたが、まあ無理だと。

 

スーパーマンにはなれません。

でもヒーローが教えてくれる勇気を否定はできません。

自分のできることで、これまでとは違う方法で、恐怖や問題と向き合っていけばいいと思っています。 


2021年5月5日水曜日

どこかの技術的失業が無関係ではない理由

 

最後まで読んだら、また図を見ていただきたいです。

 

①例えば複数の生産現場があり、

②一部で技術的失業が起きたとします。

③すると現状、労賃以外の通貨収入がないため、自動化されていない現場で労賃を求めて労働供給の過剰が起きます。

④使えるおカネは変わらないため競争が激化し、低労賃化が起きます。

 

なぜ人手不足かというのも、④で使えるおカネが変わらないということがあると私は考えています。

つまりおカネ不足が原因です。

これを無視している人は、労働者の努力不足だとか商品価値の問題としか言わないわけですね。

消費者も生産過剰の問題を無視して企業努力の不足としか言わない人が多いので、そのあたりはお互い様かもしれませんが。

ワーキングプアもこうした労働供給過剰の影響があると考えられます。 


この図では、④の時点で労働者Aと労働者Bが受け取れるのは生産Bの分だけです。

生産Bだけを請求できるのではなく、生産Aも請求できるけど合計すると生産Bと同程度しか請求できないということです。

もし生産Aと生産Bが競合他社で、④の状態で労働者Aと労働者Bが生産Aの商品を買ったとしたら、生産Bのおカネが減るのでそれも低労賃圧力になります。

実際、手作りかどうかなんて気にせず安い方を買っている人が多いと思います。

で、安い方は大抵、無人化が進んだ方です。

自分は労賃をもらうけど、払うのは労賃が発生しない工程で作られた商品ということです。

④の労働者Aと労働者Bが生産Bで稼いだおカネで生産Aを請求する状態です。

普通に買い物をした結果、遠回りに自分の労賃を下げていると考えられます。

もちろん考えて買い物するのが悪いはずもなく、問題は労賃しか購買力が無い通貨システムです。


新しい雇用が創出される、それが本当だろうと嘘だろうと関係なくて、図を見て分かる通り自動生産分の未分配は放置されたままなので、労働供給過剰を根本から解決するものではないです。

だから、それを解決策とか明るい未来の鍵みたいに言うのは正直ズレていると私は思います。

とにかく国民は皆労働しなきゃいけないという強迫観念を持っているか、労働力を少ないおカネで買い叩けなくなるから困ると考える人は、BIを否定するのでしょう。

 

経営が心配な人については、BIがあれば十分におカネが回るようになると考えられるので大丈夫だと思います。

ただ本当に競争力が低くて成功の可能性もない、そういう場合は撤退したほうがいいと思います。

ダメでもBIで再チャレンジしやすくなりますし、どんな分野で成功するかなんてわからないのですから。

ズルする人を傷つける萎縮するそんなの馬鹿らしい、素直や思いやり挑戦そして笑顔は素晴らしい、そういう社会になってほしいです。


皆労働していなきゃいけない、どんな場合でも拒否は許されないというのは、合理的根拠のない強迫観念だと思います。

商品価値が無ければ生きてはいけないというような思想の果てに、例えば養護施設で大量殺人をするとかの事件があると思うのです。 

そういう思想は、単に労賃が無ければ生活できないというだけの仕様の社会システムを、自然と同じく正しいものとして受け取ることによって生まれるのではないでしょうか。 

だから後付で正当化しようとしてもおかしなことや恫喝しか言えない。

これこそゲーム脳と言うんじゃないのかなと思ったりします。


もし生産力が決定的に足りない場合は、BIの減額や増税などで抑制が必要です。

BIの導入は需給ギャップの解消が目的だから、ただ何の制限もなく増やしていけばいいというわけでは無いです。

あまりに購買力不足の問題が無視されているから話がおカネを増やすことに偏らざるを得ませんが、生産力あっての分配です。


④の低労賃化で過重労働も起きますが、労働負担を下げるために新技術を導入するとかは、それはもう自動化であって失業です。

楽するというのはそういうことです。

良いパソコンに替えて処理速度が上がったとしても、脳みそが構造からして進化したわけではないでしょう。

生産力は大きくなりますが、労働者が必要な理由は小さくなるのです。


2021年4月30日金曜日

BIと緊縮的BIの違い

左から社会経済の現状、BI(国民配当)、緊縮的BI(BIモドキ)を、生産・分配の両面から表した概念的な図です。

この生産・分配の両方が揃った状態じゃないと我々は豊かになれないわけです。

 

左から順番に確認していきます。

生産を占めるのは自動生産と労働である一方、分配は労働に対応する労賃だけで、莫大な余剰生産力(デフレギャップ)がある状態です。

下向き矢印(↓)は技術的失業が進んでいることを表しており、つまり労働の割合は基本的に減ることはあれど増えはしないということです。

今さら皆で竪穴式住居に戻れますか?車両を使わずに徒歩で移動できますか?文字を使わずにいられますか?無理じゃないでしょうか。

何か技術にリセットがかかったとしても、同じように技術を求めると思います。

 

この現状、どうなるかというと「豊穣の中の貧困」です。

そして、おカネを求めて人や環境の負担を無視しがちになるので、過労死、精神病、環境破壊などに繋がると考えられます。

デフレで喜べるのは、その負担を無視しているだけです。


次はBIです。

自動生産に対応する分配手段がないため、通貨発行によってBIを導入します。

貨幣の本質とは権利ですから、物質的・商品価値的な縛りを気にする必要はありません。

 

この状態で自動化を進めて持続可能な形で生産力を高めれば、少なくとも今よりは皆で豊かになれると思います。

シビアな条件かもしれないですが、先人の遺産もありますし、カネ不足にぶち当たって何も出来ないより云億倍マシだと思います。

例えば宇宙にロケット飛ばすのはカネの無駄という考えがあるかもしれませんが、私はカネに縛られて何も出来ないでいる時間の方がありえないほど無駄だと思います。

人も技術もあるのに、カネだけがない、そんな状況が今、腐るほどあります。

それこそ才能や機会の重大な損失ではないのでしょうか。

カネになる行動でなければ出来ない、やってはいけない、でも肝心のカネはそもそも不足。

そうやってカネに縛られて活動を萎縮することに疑問を持たないのも拝金主義ではないのかと思います。


技術的失業は止まらないと思いますが、最低労賃みたいなことで下駄を履かせる必要はありません、というか市場が歪むとかの他にも色んな意味でやめた方が良いと思います。

今は自分の価値を過大に見せないといけないみたいな風潮がありますが、そんなことをしてもいい仕事が出来るかどうかとは無関係ですし、何より心安らかにいられません。

何の物差しで輝くかなんて人それぞれなので、労賃だけの評価に縛られて萎縮したり、命を失ってしまう現状は悲しいと思います。


最後に緊縮的BIです。

多分、BIと聞いて眉をひそめる人はこのイメージなのではないかと思います。

現状と何も変わっていないか、悪化しています。

技術的失業の対策になっていません。

これは意味の薄い引っ掻き回しであり、事実上の簒奪です。

あくまで労賃の枠に収まっているのは生活保護と同じです。

無知なのでなければ、これをBIと呼ぶのは、誤解と対立を煽る悪意です。

国政の中枢に関わっていい思想ではないと思います。

 

2021年4月26日月曜日

子供への心理的虐待


ママけんかしないで ”面前DV” 子どもの心の叫び

https://www3.nhk.or.jp/news/special/jiken_kisha/kishanote/kishanote11/?utm_int=detail_contents_special_003


子供に直接暴力などが振るわれなくとも、大人同士の不和を見せて恐怖や緊張状態に置き続けることも心理的虐待と定義されます。


この記事を読みますと、事例が私と似ていると思います。 

未だにたまに物音がしてビクッと驚くことがあるのですが、どうも周囲に人がいても私だけ。

喧嘩をやめてほしいと頼んでもやめてくれなかったのも、無力感が染み付いているのもその通り。

いつ険悪な空気になるかと緊張しっぱなしで、当時の昼間はやけに眠たかったです。 

今思うと当時から過重労働みたいな状態になっていました。

そんな当事者なので、客観的に分析することは難しいと思います。

それを踏まえた上で書きますが、色々と観察してきて思っていますのは、社会に余裕がないということです。


私は家庭不和の原因と解決策を探す長い時間の中で、社会に余裕がなく不和に陥りやすい状態を、デフレと結びつけました。

つまり生産力に対しておカネが不足していく社会現象が、社会から余裕を奪い去っているという仮説です。

この結びつきは、初めほとんど漠然とした直感だったのですが、国民配当(BI)理論に出会って確信を深めるに至りました。

これは、着々と進む技術的失業に対してBIという仕組みが無いため、収入が得られずおカネ不足になり、生活不安が膨らみ、精神的にも身体的にも元気が失われピリピリしていくというようなストーリーです。

これは主要なストーリーであり、サイドストーリーとして債務貨幣や緊縮財政などがあると思います。


私はBIがない社会システムには無理があると思います。

その無理がまず大人を苦しめ、さらに弱い立場の子供が最終的に全てを被ってしまうのだと思っています。 

ですから需給ギャップの解消のためにBIを導入すべきだと考えてます。


人の認識は脆弱です。

社会システムなんかよくわからないし、自然のことなんかもっとわかりません。

もがいて適応して、おかしな言動をしてしまうこともあると思います。

一生懸命生きているのだから、誤りが沢山あるのはしょうがないと思います。

でも、子供の幸福のためといいながら不和を肯定するのは欺瞞でしょう。

家庭不和は子供の不幸ですし、大人の不幸です。

大人がどうしようもない自分を認めて、助けを求めるのは悪いことなのでしょうか。

私には、自身の商品価値が収入の全てである社会システムが、皆に虚勢と過剰な緊張を強いているように思えます。

嘘や誇大を推奨している風潮すらある。

それは自分を大きく見せないと排除されてしまう状況が怖いからではないのでしょうか。 

記事を読むと、この親は感情がコントロールできずカッとなってしまうと言います。

恐怖に晒されると、窮鼠猫を噛むというように、攻撃性を増大させて自分を守るという反応をとることがあります。

ネットで頻発する喧嘩もそうですが、今の社会は恐怖に晒され過ぎたと私は思います。


何十年か前は、子供は地域で育てたと聞きます。

何年か前にラジオで誰かがおっしゃっていました。

いくら親子でもずっとつきっきりでは疲れるから、やはり周囲の助けがあったほうがいいというようなお話でした。

でも今それは難しいと思います。

近所の人にしろベビーシッターにしろ余裕がない。

親も子も逃げ場がない。

私はBIが必要だと思います。

これは子供だけの問題だけじゃありません。 

子ども手当だとか教育無償化みたいなことだけ言っていても、問題は解決しないでしょう。

 

色んな社会問題が枝葉として存在していますが、幹や根にはBIがないという問題があります。

だから私は過去にこのブログで「こどもの貧困」「女性の貧困」「ワーキングプア」など枝葉を細々としか取り上げないマスコミの姿勢を批判したことがあったと記憶しています。

こども、女性、大人、老人、そういうものを切り分けることに、この問題に関して何の意味があるでしょうか。

足りないピースはピースを追加しなきゃ埋められないし、足りないままあちこち入れ替えたところで永遠にどこかに穴が開いてる状態でしかありません。

それを、無意味に集団を切り刻んで、こっちが優先あっちは後みたいなことしてるのが今の社会ではないでしょうか。

ピース(BI)が足りないから追加すればいいと思うのです。


個人や家庭で出来ることとしては、栄養的な部分の見直しは効果的ではないかと私は考えてます。

うつやパニックは鉄不足が原因だという説がありまして、これは臨床による検証や考察が本として出版されているのでオススメしたいのですが、それをきっかけに私自身、栄養改善を自分なりに試して、だいぶ体調や気分が落ち着いたということもありました。

この本では鉄タンパクを中心とした栄養状態の改善に伴って、患者の健康状態や家庭状況が改善していく事例が多数紹介されています。

私も今では栄養補給を怠ると、明らかに体調や思考の働きが悪くなると感じます。

プラセボとそうでないものの違いは私はわかりませんが、以前悩まされた肩こりや背痛などは今はほとんど無縁です。

これは改善に数年かかっています。

栄養を摂ると明らかに調子が上向くので、長くかかりはしましたが、辛くはありませんでした。

これからも続けていくつもりです。

ずっと悪い状態が続くとそれが自分の標準になって、自覚が困難になります。

私も体の痛みや気分の落ち込みに晒されながら、このまま死ぬんだなと思っていました。

ですから試してみて、どれだけ自分が追い詰められているかを検証した方がいいと思います。

特定の薬とかではなく、タンパク質・脂質・ビタミン・ミネラルなど栄養の話が基礎になっていますので、是非お試しいただきたいと思います。


2021年3月22日月曜日

空き地空き家の増加

空き地空き家が増えているというのは、どうも私の気の所為ではないようです。

未登記で所有者不明の不動産が増加中とのことです。

価値が下がって売ることができないどころか、引き渡す側がおカネを払わないといけない物件があるそうです。

粗大ごみの処分と一緒ですね。

持ってて嬉しい土地と家……とは言えない事例が多い。

負担を負えないなら相続したくないのも自然な考えだと思います。

そういえば私の実家も遺産の不動産の扱いで困ってました。


原因は一つとは限りませんが、社会全体としての購買力の不足に着目してもいいと思います。

技術的失業その他デフレ要因の放置によっておカネの回りが悪くなっており、その影響が不動産にも出ているという単純な話と考えます。

今起きている空き地空き家の増加も、コンビニ弁当の底上げも、労働環境の悪化も貧困も少子化も、全部同じような問題に見えます。

 

耕作放棄地とかシャッター商店街、空き地、空き家、空き店舗もこれだけ観測されてきてまだ生産性としか言わないのは正直いって気が知れません。

生産力が足りないならそんなもの放置しておかれるわけが無いと思うのですが。

コンパクトシティとか立地とかも結構ですし、自治体や個人が現状で取れる選択肢なんてそれくらいしかないのも理解できます。

でも他にも根本的に見るべきものがあるんじゃないかとも思います。


私の育った家がお化け屋敷になっていたのを思い出します。

その建物は公営住宅なので、強いて言えば自治体の問題であって自分とは無関係と突き放すことは出来ますが、私の考えているのはそういう問題じゃないです。

それは今回の不動産の問題ともリンクしていて、人間社会の活動が停滞しているという事象の一部と考えられます。

それで人がいなくなって価値が下がって、そういったことに無関心でいても、結局は売れないだのなんだの目先のおカネの話に迫られるわけでしょう。

私からすると経済全体におカネがないことと、自分のおカネがないことの何が違うのかなと思います。

デフレを無視して明日の社会生活を心配することが、この上なくチグハグに見えます。



2021年2月1日月曜日

市場には無条件の購買力も必要

おカネの流れは生産段階で2つに大別されます。一方は労賃ですがもう一方は設備投資です。技術的失業は自動化と共に労賃へおカネが流れなくなることです。そうすると現行システムで消費者が購買力を得る手段が無くなり、市場が機能不全を起こします。

ですから消費者に購買力を流すために生産段階を迂回してバイパスを設ける必要があります。生産段階を経由すると市場原理が働いて消費者におカネが行きませんから、これを迂回するわけです。このバイパスが国民配当(ベーシックインカム)です。

市場原理を「市場価値による人命の選別」と解釈してそれに縛られるのは、視野狭窄で本末転倒しています。貨幣についても同様で、「全てその人の市場価値に対する報酬」という解釈のままでは経済が止まるだけです。市場価値の低い人間のせいにしても無駄です。誰もがそうして排除されるからです。今誰か苦しんでいたり死にゆく人を価値がないと見下しているのだとしたら、それは自分の未来かもしれません。

市場は「社会が持つ生産力の効率分配」貨幣は「社会が持つ生産力に対する単なる注文権」というようにシンプルに捉え直した方がいい。富は何か特定の集団のものという考えは部分的にでもいいから可能な限り捨てていったほうがいいです。収入は労賃限定とか意味不明な縛りは不要です。

そもそも資源を所有していると主張することにどれほどの根拠があるのか。一体自分個人がその生産活動の何パーセントに対して純粋に寄与していると言えるのか。言葉にしろ技術にしろ自然の自動的作用にしろ、自分じゃない誰かが考えたり元からあるものを使ってやることがどれだけその個人の偉さになるというのか。自分はほとんど巨人の肩に乗っているだけだから何も偉くないと認識することこそ社会人として最重要レベルの資質ではないのか。

現行の社会システムがいかに強力な拘束力で生活を縛っていようが、現行システムを前提としてこれを絶対視する理由にはなりませんし、そうするべきでもありません。現行システムを絶対の前提として思考を出発させることは積極的に否定されるべきだと思います。

現行システムの強制力を何か自身を正当化する権威のように捉える考えも多いですがこれも否定します。これを背景に繰り出される「誰のおかげで生活できると思ってる」は傲慢の極みだからです。先人の知恵や自然の恵みに感謝すらしない、我に執着したこのような態度は殺人に発展しかねないと私は思います。

実際、子供を虐待死させる親はこのようなことを言うようです。見せかけの自由による選択を繰り返して「適応」していった結果、このような現行システムの構造を「正義」とか「自然の摂理」まで拡大解釈したのではないか。

障害者施設に乗り込んで殺人を行った人物の思想にもそのような側面があったのではないか。あれ相模原事件というんですね。私の脳がポンコツだったせいでもっと殺害人数が少ないものと思ってましたが19人ですか。改めて確認して驚きました。私はこの殺人者が特殊な人間だとは思いません。このような選別的な思想は腐るほど社会にあるからです。障害者差別に限りません。

例えば生活困窮する人が増えるからと消費増税反対とか消費減税を唱える人に対して「皆がお前ほど低いレベルじゃないから」とか言う人がいる。ここでのレベルは市場価値と読み替えていいと思います。要は当人の市場価値が低いことだけが問題だということでしょう。軽い気持ちなのかもしれませんがそれだけに根が深いことを伺わせます。

私はこのような選別的な思想は現行社会システムの構造と関係しているのではないかと思います。「適応」の過程で現行システムの「市場価値による人命の選別」という側面を強く意識して、これを肯定する人は少なくないと考えています。

国民配当しましょう。選別とは真逆です。しかも超合理的。やらない理由がない。

2021年1月30日土曜日

人件費削減

人件費削減……ですよね。それ以外現状のリストラで何の理由があるんだろうという話で。これまでも購買力が足りず人件費も足りない、それで労働市場が供給過剰だから労働環境も悪いんだという話を私もしてきたわけですが、ニュースであっさり「人件費削減」でリストラを行うと書いてました。何十年ぶりに意味のある文章をマスコミの発信で読んだ気がします。ヘッドラインが目に入るたびに苦しみに襲われることが今後解消されていけばいいのですが。

前回のRPA(ロボティック・プロセス・オートメーション:自動化の一種)とかも検索するとあからさまに人件費削減とか書いてますから、もはや生産と労働は企業にとってセットじゃなくていい扱いなのかもしれません。残業規制も比較的経営がマシな状態の企業にとってはむしろ自動化する口実になってラッキーなのかもしれないですね。 

後は消費者が雇用を生み出せとか筋違いの要求をしてないで国民配当を要求できるかどうかだと思います。こんな状態で雇用を生み出せなんて「バトル・ロワイアル」くらいしかないんじゃないでしょうか、いやほんとに。コロッセウムです、「グラディエーター」です。戦争に公共事業の側面があったことを否定できる人はいるんでしょうか。殺人委託でもマフィアでも立派なお仕事です。生活を言い訳にするなと言えるのは生活を言い訳にできないシステム(国民配当など)を支持している人だけです。


2021年1月28日木曜日

マスクの常識

今だとマスクしないと非常識だと言われるみたいですが、精神科の社会療法に通っていたときには風邪を引いていてもマスクは外せと指導されました。数年前の話ですね。

その人は風邪を引いたから移しちゃいけないということでマスクをしてそれも説明していたんですが、顔が見えないのは社会人としておかしいから外しなさいと。今だとどう指導するんでしょうね。それとも担当の人の個人的な考えによって変わるんですかね。

やっていることは社会の主流的な「なにか」への「適応」なんでしょう。それを治療と呼んでるのが実態だと思います。心身の健康や医療って一体なんのかなと、社会って何のためにあるのかなと、ふと思っただけです。


ロボティックプロセスオートメーション

ロボティックプロセスオートメーション(duckduckgo検索結果)


 大きな特徴はソフトウェアが人間の代わりに人間向けに作られたソフトウェアやシステムを操作して作業を進める点で、システム側で自動化の仕組み(マクロやスクリプト、外部開放APIなど)が用意されていない場合や、複数のシステムをまたいだ作業なども、人間が操作可能であればそのまま自動化することができる。 
 e-words(RPA)より引用

 

RPA、手作業工程の自動化の一環らしいです。この流れは基本的に不可逆だろうと考えられます。生産性向上は失業と同義だということを認める人が増えればいいと思います。

検索してみたら相変わらず自動化を労働力人口の減少や残業過多に対する解決策みたいに言っていましたが、建前として十分通用してしまうから金科玉条として掲げているんだと思います。自動化による人件費削減が人口減少やブラック労働に繋がってるなんてまともなこと言ったら競争出来ませんから。ロボットにしちゃえば内部からは文句出ないし(多分)。

ただ企業も企業で今後自動化された工程で作られた商品を一体誰に売るつもりなのかなと私などはいつも思っています。

私自身は最終消費者の考えが鍵かなと思います。国民配当は国民を起点としておカネを流す政策でもありますから、そういう意味で国民消費者が動かないとどうしようもないという部分は大きいと考えるからです。収入は労賃だけでないと嫌だと国民が言うなら労働者としてロボットと競争するしかないでしょう。最もその結果が自動化で数万時間削減したとかなんですが。

 

2021年1月22日金曜日

生命の市場価値

自然を相手にしていた時はどうだったかわかりませんが、今社会の奥で一生を過ごすような人は、市場価値があるから生きることを許されているところがあります。何に許されているかといえば社会システムとそれを支持している自分自身です。全ての所作が自らの市場価値に通じていないといけない、そういう物差しにわざわざ自分達を縛り付けているのが今の人間模様だと思います。

子供達は絵を描けば勉強しろと言われ、運動をすればテストの成績が下がったと言われ、本心からの言葉を投げかければ黙るように要求される。やりたいことについてどれだけマネタイズが難しいか「現実」を力説される。小さな芽吹きのように、ただ表現したかっただけ、ただ出来たことが嬉しかっただけ、ただ共有したかっただけ、ただ夢を描いてみただけなのに、とんでもないと踏み荒らされる。その時の落下するような感覚は私も知っています。

表現したり感じたり動いたり話したり、それは後回し、何より優先すべきは自らの市場価値だということを「教育」する必要があると不安な大人は考えるのでしょう。夢はそれからだと。一体0コンマ何%の人々がそんな要求と夢を追えるのかわかりませんが、見せかけの自由の結果、そういう結論に行き着くわけです。社会は人為的なシステムですが、それを自然のシステムと同一視しているのではないかと思います。

人間として自然な欲求を抑圧して事に当たらなければならない、まさしく緊急事態です。でも自然災害などではなくて、社会システムという人為的プログラムのバグに振り回されているだけです。おカネの問題ですから。ちなみにおカネというのは請求権です。他の人は知りませんが私はそう解釈しています。おカネが必要なくなる時は権利という概念が不要になった時でしょう。それがどんな未来かはわかりません。

社会という視点でかなり革新的なアニメだった「けものフレンズ」も、皆に富を請求する権利が無条件に付与されていると見なすこともできると思います。自動生産された(確かそんな設定だったような気がします)食糧をボスと呼ばれる機械獣からもらっているのを見ればわかりますが、そのおかげで誰もが市場価値に左右されずに健康に生きることが出来ていたわけです。あの作品では途中で古い硬貨が出てきますが、口ぶりから推測するに権利という本質的な意味は失われていると考えられます。硬貨を嬉しそうに拾い上げたのがツチノコのキャラというのも面白い構図だと思います。そこにかつて見いだされていたであろう権利というのは、目に見えない、耳にも聞こえない、触れもしない、匂いもない、そういうものです。そこにあった貨幣としての本質は登場キャラクター達の社会に無言の約束として溶け込んだのかもしれないと思います。

 

現行社会システムは市場価値という物差しで生命や環境を選別し、極めて破壊的に振る舞います。理由は国民配当(ベーシックインカム)が無いからです。購買力は労賃しかない一方で、供給力は労働力の他に自動化設備がある。生産性が向上する度に低労賃、無収入者が増える。要は「全部無人で作れるのに誰も請求できない」状況がありえるわけです。現状はと言うと工場も無人化、コンビニも無人化、運転も無人化の流れ。こぼれ落ちた人間の救済は、あいも変わらず現役の人々の労賃からの負担。人間に対しては容易に無能とか自己責任といった罵倒を叩きつける割に、これを欠陥システムとは言わないのですかね。現行システムありきで考える人が多すぎるのではないでしょうか。

国民配当を実装しない限り、施策としては今後も無意味な選別が続くのだろうと思います。例えば男と女は両方揃って一つの生命といっても過言ではないのに、国民配当という合理的でそれこそ男女平等な施策ではなく、どちらかを優遇しろと主張するのは筋がよくないと思います。人間は働かなくていいために働いているはずなのに、自動化した成果を国民配当で分配しないまま失業を恐れ無職を蔑むのはどうしてでしょうか。困っている人を無能、自己責任と切り捨てることが当たり前になっていて、その解釈に至るまでにどんな前提があるのか全く疑問に思わないのでしょうか。

こうした選別はたいてい問題解決に繋がらないし、事態が複雑になっていくばかりだと思います。最初は何か自分達を優遇しろと主張していた(2つ)ものが、別の物差しを追加する(4つ)とかです。これだけで4分割。例えば性差の他にも職、年齢、既婚かどうか、子供がいるかどうか、パートナーのステータス、子供のステータス、いくらでも選別しようという向きは見られます。その採用した数だけ累乗されます。

果たしてこれは問題解決なのですかね。指数関数的に狭まっていく何万分の1の先にだけ幸福は存在するのでしょうか。私は役に立たない物差しをいくら持ち出しても解決には無意味と解釈します。平等や発展を目指すなら国民配当(1つ)の方向性でいいと思います。争う必要もありませんし。万能とまでは言えませんが、大抵のことはこれで解決すると思います。物差しは適切な場面でだけ使うべきです。

以前に養護施設だかが襲撃されて殺人が起きた事件があったと記憶しています。表面的な情報しか見ていませんが、殺人犯はその行いを正義だと信じていたように見えました。市場価値にならない人々はそれ以外の人々の邪魔、存在が無駄でしかないという思考を頭の中で何度も繰り返していたのでしょうか。何がきっかけで自分も歩けなくなったりするかもわからないのに、そうなった自分が惨たらしく殺されることを受け入れられるのか。自分の浅はかな物差しでは予想できないところに他人の素晴らしさがあるとは思わないのか。現行システムありきで考える危険性がここにもあるのではないでしょうか。

将来的には知りませんが、社会や技術への依存、生命維持活動や生殖活動をやめられない以上、社会システムをより自然なかたちに変えていくしか無いと思います。それとも、社会システムありきで市場価値のないものを無駄と切り捨て続けるでしょうか。自分がそうなった時、納得して生命を捨てられるのでしょうか。もしそうなら現行システムへの信仰が深いんだろうと思います。労働教、所有教、自己責任教、市場価値教、そして社会システム。神なき世界になったという言葉をネットで見かけましたが、むしろ色んなカミさまを今も人間は信じているんだなあと私などは思います。


2021年1月14日木曜日

国民配当の前提やビジョンなど

国民配当(ベーシックインカム)の議論とは言いますが、それ以前に国民配当が何か、なぜ必要なのかという前提がまるで共有されていないという状況のようです。

生産力の内訳と対応する分配方法と考えればシンプルです。

 

(生産力の内訳)➨(対応する分配方法)

 労働生産力  ➨   労賃(労働者が対象)

 自動生産力  ➨ 国民配当(労働者含む全員が対象)

 

自動化して生産性が向上し、失業が進んでいることも調べて確認してください。ネットで検索すればいくらでも無人化の例が見つかります。

これらの前提を統合すれば、国民配当が無理のない、避けられない施策であることが自然と導かれます。判断するにしろ議論をするにしろ、前提として絶対に押さえてください。 

既存のシステムでは自動化して生産性向上しても、分配手段が労賃しかありません。このことによって発生する問題は枚挙にいとまがなく、どれも致命的です。それらは通貨循環が正常化していけば自然と解消していくと考えられるため、現在の問題の全てを細かく論じる意味はあまりないかもしれません。

しかし自分の直面している問題、あるいは他人が抱える問題がどのように解消していくかについては、自分なりにイメージしておく意味は大きいと思います。

 

例えば以下は私がイメージする「国民配当(BI)のある未来」です。いくらかは需給ギャップの解消が進んだ時期とお考えください。

ある家庭の親です。国民配当によっておカネと暇が増えました。それまで仕事漬けの日々だったのでどうしたものかと思っていたのですが、子供が毎日のように何か引き起こすので忙しくも楽しい日々を送っています。自分だけの時間が欲しいなどの時は、信頼できる人に子供の面倒を見てもらうよう頼める経済的余裕や、近所の人々の助けもあります。こうした交流や助け合いは自然と普通になっています。

ある家族、恋人でもいいです。仕事と恋人、あるいは仕事と家族どっちが大事というような問いかけには、しょうがないという考え方をしていましたが、それは社会システムの問題だったこと、知らず自分達の気持ちを抑圧していたことに気付きます。

ある労働者です。辛く正当に評価されない仕事を拒否し、能力が正当に評価されるチャンスがきました。否応なしに思考停止・感情麻痺して働く必要はもうありません。一旦労働者をやめて、ゆっくり英気を養うのでもいいかもしれません。能力を磨いて競争に身を投じてみるのもいいかもしれません。安全や生活が保障されているとわかると、安心感や意欲が湧いてきます。

ある研究者です。購買力の不足が解消してきたことで、何でもかんでもカネになるかどうかを問われることがなくなり、予算も増えて自由に研究することができるようになりました。

ある労働者です。人はなんとなく働くものだと考えていて、真剣に貢献の意味を考えたことはありませんでした。仕事や生活を言い訳にいろんなことを犠牲にしてきたことにも気付きました。経験を再解釈して役立たせることもできます。

 

すぐに思いつくのはこんな感じです。いかに社会システムの欠陥に縛られて活動が制限されているか、仕事や慣習を言い訳にして真剣に人生を捉えられていないかということでもあると思います。

 

ここまで書いてふと思い出したので以下の「死に際の後悔トップ5」を引用しておきます。機械翻訳が下の方にあります。


The Top 5 Regrets of The Dying
ttps://www.collective-evolution.com/2013/04/27/the-top-5-regrets-of-the-dying/

上記リンクより引用


"1. “I wish I’d had the courage to live a life true to myself, not the life others expected of me.”

“This was the most common regret of all. When people realise that their life is almost over and look back clearly on it, it is easy to see how many dreams have gone unfulfilled. Most people had not honoured even a half of their dreams and had to die knowing that it was due to choices they had made, or not made. Health brings a freedom very few realise, until they no longer have it.”

2. “I wish I hadn’t worked so hard.”

“This came from every male patient that I nursed. They missed their children’s youth and their partner’s companionship. Women also spoke of this regret, but as most were from an older generation, many of the female patients had not been breadwinners. All of the men I nursed deeply regretted spending so much of their lives on the treadmill of a work existence.”

3. “I wish I’d had the courage to express my feelings.”

“Many people suppressed their feelings in order to keep peace with others. As a result, they settled for a mediocre existence and never became who they were truly capable of becoming. Many developed illnesses relating to the bitterness and resentment they carried as a result.”

4. “I wish I had stayed in touch with my friends.”

“Often they would not truly realise the full benefits of old friends until their dying weeks and it was not always possible to track them down. Many had become so caught up in their own lives that they had let golden friendships slip by over the years. There were many deep regrets about not giving friendships the time and effort that they deserved. Everyone misses their friends when they are dying.”

5. “I wish that I had let myself be happier.”

“This is a surprisingly common one. Many did not realise until the end that happiness is a choice. They had stayed stuck in old patterns and habits. The so-called ‘comfort’ of familiarity overflowed into their emotions, as well as their physical lives. Fear of change had them pretending to others, and to their selves, that they were content, when deep within, they longed to laugh properly and have silliness in their life again.”"

引用終わり

 

日本語訳(DeepL翻訳) 

瀕死の後悔トップ5
ttps://www.collective-evolution.com/2013/04/27/the-top-5-regrets-of-the-dying/

1. "他人に期待される人生ではなく、自分らしく生きる勇気があればよかった"

"これが一番多かった後悔です。人は自分の人生がもうすぐ終わることに気づき、それをはっきりと振り返ると、どれだけ多くの夢が叶わずに終わってしまったかが容易にわかります。ほとんどの人々は、彼らの夢の半分であっても尊重していなかったし、それは彼らが作った、または作られていない選択のためであったことを知って死ななければならなかった。健康は、彼らがもはやそれを持たなくなるまで、ほとんどの人が気づくことのない自由をもたらします。

2. "頑張らなければ良かった"

"これは私が看護した全ての男性患者からの言葉です 彼らは、子供たちの若さとパートナーの交友関係が恋しいのです。女性もこの後悔を口にしていましたが、ほとんどが年配の方だったので、女性患者の多くは稼ぎ頭ではありませんでした。私が看護していた男性は皆、仕事をしながらの生活に人生の多くを費やしてきたことを深く後悔していた。

3. "自分の気持ちを表現する勇気があればよかった"

"多くの人は、他人との平穏を保つために自分の気持ちを抑圧していました。その結果、平凡な存在に落ち着き、本当の自分にはなれなかった。その結果、多くの人が恨みや恨みを抱えて病気になってしまったのです。

4. "友人と連絡を取り合っていればよかった"

"多くの場合、彼らは死の数週間前まで旧友の恩恵を十分に実感することができず、彼らを追跡することができないこともありました。多くの人が自分の生活に夢中になってしまい、何年にもわたって黄金の友情を逃してしまったのです。友情に相応しい時間と努力を与えなかったことを深く後悔している人がたくさんいました。誰もが死ぬときに友人を恋しく思うものだ。"

5. "自分をもっと幸せにさせてあげればよかった"

"これは意外と多いものです。多くの人は、幸せは選択であることを最後まで気づかなかった。彼らは古いパターンや習慣から抜け出せずにいたのです。いわゆる「快適さ」と呼ばれる親しみやすさが、彼らの感情や身体的な生活にあふれ出ていたのです。変化を恐れるあまり、他人や自分自身には満足しているふりをしていましたが、心の奥底では、きちんと笑って、再び自分の生活の中でおかしなことをしたいと思っていました。"

2021年1月8日金曜日

国民配当ときつい仕事

嫌なことを断れない社会は正しいか

「BI(国民配当)をしたら、きつい仕事を誰もしなくなる」

こういう主張がありますが、私はBI(国民配当)をしたら、きつい仕事への報酬や設備投資が増えると考えます。また、技術の発達が著しいため、生産性の問題はあまり心配する必要はないように思います。つまり、きつい仕事をしたくなければしなくても問題ありません。

 

国民配当の効果:購買力の増加

自動化による過剰供給力と、技術的失業によって無収入化してしまう問題への解決策が国民配当です。社会に積み上がった技術遺産によって生まれる過剰供給力を分配するため、国民配当が社会システムに組み込まれると購買力が増えます。これは国民配当が既存の分配システムと異なる重要な点です。

  • 労働者の収入   ⬅ 🌟国民配当+💦労賃
  • 非労働者の収入 ⬅ 🌟国民配当

請求対象はこうなります。無秩序に購買力を拡大するということではありません。

  • 労働者の請求   ➨ 🌟自動化の成果+💦労働の成果
  • 非労働者の請求 ➨ 🌟自動化の成果

社会を循環するおカネが増えると企業の売上も増え、仕事への報酬や投資といった問題解決のために使えるおカネが増えると考えられます。

 

国民配当の効果:労働供給過剰の解消

現在の労働市場における供給過剰は国民配当によって解消され、報酬水準は適正範囲になっていくと考えられます。

  • 過小な労賃 ⬅ 人件費<労働供給(過剰) ⬅ 💀逃げ場がない(現状)
  • 適正な労賃 ⬅ 人件費=労働供給(適正) ➨ 🌟拒否権限(国民配当)

上記の過小な労賃の構造は現在の労働環境のものです。働かないとおカネがもらえないシステムでは、労働供給は常に過剰な状態に陥り、労賃の単価も下がります。そうやって困窮させておけば安く人をコキ使えるとか支配出来るのではないかと目論む考えもありえます。

現在の労働者が購買力を得る手段は労賃だけである一方、企業は購買力の使いみちとして労賃と設備投資の選択肢があります。労働者が理不尽であっても耐えるしかない一方、企業は自動化への投資というカードを出すことで、生産性と労働問題、そして競争力の問題は解決できたと主張できます。実際、自動化によって生産性や競争力の意味では解決していると言えます。高い生産性を実現するのは、労働力というよりは技術力だからです。

 

労働市場の縮小

国民配当によって労働供給が絶対的に不足するとまでいかないと考えるのは、労働が禁じられるわけではないから、そしてテクノロジーによって今後も労働需要が縮小していくと考えられるからです。

日本の労働人口の49%が人工知能やロボット等で代替可能に(野村総合研究所)

ttps://www.nri.com/-/media/Corporate/jp/Files/PDF/news/newsrelease/cc/2015/151202_1.pdf

こちらを読んだことがなければ、すぐ読み終わるので一度は読むことをおすすめします。49%という数字が驚異的なのは、「業務全てを高い確率(66%以上)でコンピューターが代わりに遂行できる」という基準で試算しているためです。業務の一部ではなく全てとのことなので、残り51%も程度に差こそあれ部分的には置き換わっていく可能性があります。あくまで「代替可能」という話ですが、自動化コストが下がれば下がるほど、代替や労賃の値切りが進むのは避けられないと考えられます。

 

労働市場の外の社会や世界

国民配当があるシステムでは、活躍する人は本当に才能ややる気があるのでしょうし、誰もやりたがらないきつい仕事には相応の報酬があって、報われやすいのではないでしょうか。自動機械に生活を支えてもらうことでチャレンジングの機会が増え、予想外な人が一線級で活躍するかもしれません。

人間は労働市場の物差しでのみ評価されるものではありません。労働市場だけが人生のフィールドではありません。国民配当でおカネから支配される社会を抜け出し、学天則を実現していきましょう。


この記事のような内容をわかりやすく楽しく説いている「最強のベーシックインカム」がオススメです。

ttps://www.amazon.co.jp/dp/B07F7TJCD7/ref=dp_kinw_strp_1

2021年1月4日月曜日

うつ病の科学

うつ病について最近明らかになった一面として、ウィルスが関係しているそうです。

 

Human Herpesvirus 6B Greatly Increases Risk of Depression by Activating Hypothalamic-Pituitary -Adrenal Axis during Latent Phase of Infection

ttps://www.cell.com/iscience/fulltext/S2589-0042(20)30372-2

以下ハイライトの引用

Highlights

  • We identified SITH-1, a new protein specific to HHV-6B latent infection
  • Mice expressing SITH-1 at HHV-6B latent infection site had depressive symptoms
  • Depressive symptoms due to SITH-1 were associated with a hyper-activated HPA axis
  • SITH-1-specific antibody detection significantly greater in depressive patients

引用終わり

以下DeepL翻訳に翻訳してもらったものです。

 

ヒトヘルペスウイルス6Bは感染の潜伏期に視床下部-下垂体-副腎軸を活性化することでうつ病のリスクを大幅に増加させる

ハイライト

  • HHV-6B潜伏感染に特異的な新規タンパク質SITH-1を同定
  • HHV-6B潜伏感染部位でSITH-1を発現したマウスでは、抑うつ症状がみられた。
  • SITH-1による抑うつ症状はHPA軸の高活性化と関連していた
  • うつ病患者ではSITH-1特異的抗体検出率が有意に高い

 


ウイルス研究から判る疲労の正体

ttps://www.japanprize.jp/seminar_resume_191_kondo.html 

以下引用


 「疲労」はストレスの蓄積によって生体機能に障害が生じた状態を、「疲労感」は疲労を脳が主観的に定量する感覚を指します。 「疲労感」は、報酬や、やり甲斐などでマスクされ易いため、「疲労感」のみで「疲労」を定量しようとすると、様々な問題が生じます。 そこで、「疲労」を客観的に測定するために、疲労によって変化する生体のバイオマーカーを発見し、これを利用して疲労を測定する様々な方法が検討されています。


 我々は、疲労を客観的に測定するために、「疲れるとヘルペスという水泡が唇にできる」という現象に着目しました。 この現象は、通常は宿主の体内に潜伏感染しているヘルペスウイルスが、疲労によって宿主の危機が生じると再活性化し、他の宿主を求めて体外に放出されるという現象です。 ヒトのヘルペスウイルスは8種類知られていますが、この中でも労働による疲労にはヒトヘルペスウイルス6(HHV-6)が良く反応し、基礎疾患がある場合の疲労にはHHV-7が反応することが判りました。


 このことは逆に、疲労によるヘルペスウイルス再活性化のメカニズムを解析すれば、疲労の分子メカニズムを解明することが可能となることを示しています。 我々は、HHV-6の再活性化機構を詳細に検討することで、疲労因子を同定することに成功しました。 この因子は、マウスに不眠や水泳などによる疲労を与えると様々な臓器で発現が亢進することと、この因子を遺伝子導入によって発現を誘導すると、マウスの自発運動量が低下することから、疲労という現象の中心的な働きをする因子であることが判りました。 また、この因子の働きを抑制する因子も疲労負荷によって発現が亢進することが判り、この研究が、疲労のメカニズムの解明や疲労回復法の開発を可能にするものと考えています。


 疲労によって再活性化するHHV-6の重要な特徴として、脳内に潜伏感染するという性質が挙げられます。 我々は、HHV-6の再活性化時に発現が誘導される潜伏感染遺伝子タンパクSITH-1を発見しました。 また、このSITH-1に対する抗体が、うつ病などの気分障害患者で特異的に検出されることや、SITH-1を脳内で発現させたマウスが気分障害様の行動異常を示すことを見出し、疲労によるHHV-6の再活性化が、うつ病などを引き起こす可能性を示すことができました。


 この様な研究から、ウイルス、特にヘルペスウイルスは、疲労と密接な関係を持ち、疲労に関する多くの情報をウイルス研究から引き出せることが判りました。 我々は、この様な研究が、疲労や精神障害を改善するのに役立つものと考え、研究をさらに進めています。

引用終わり

 

こちらも参考になりました


【うつ病と疲労の関係性】ヒトヘルペスウイルス6型とうつ病の発症のメカニズムとは

ttps://hidamarikokoro.jp/kanayama/blog/%e3%80%90%e3%81%86%e3%81%a4%e7%97%85%e3%81%a8%e7%96%b2%e5%8a%b4%e3%81%ae%e9%96%a2%e4%bf%82%e6%80%a7%e3%80%91%e3%83%92%e3%83%88%e3%83%98%e3%83%ab%e3%83%9a%e3%82%b9%e3%82%a6%e3%82%a4%e3%83%ab%e3%82%b96/

 

意見

こうした病のメカニズムが次第に明らかになってきたと思います。

  1. 質的栄養失調によるエネルギー産生の低下、免疫力も低下
  2. 社会システムによって事実上強制される過大なストレス
  3. 1や2を中心とした疲労の蓄積をトリガーとしてうつ病のリスクを増大させるウィルスが活性化

1と2の他にもストレス要因はたくさんあると思いますが、とりあえずほとんど誰にとっても現代社会の中心的な問題と考えられるものを挙げました。1の質的栄養失調については知識があればそれなりに個人で対策可能と思いますが、2は国民配当を急ぐ必要があると思います。

今回取り上げた内容については、人間も自然の一部である以上、身体の外部と相互に影響を与えながら生きているということを改めて考えさせられました。